2-c「スーフィズム研究会」第1回研究会

 さる9月20日(土)、上智大学7号館第4会議室で24名の参加を得て、第1回スーフィズム研究動向研究会(略称スーフィズム研究会)が催されました。参加者のディシプリンは人類学・歴史学・思想研究・文学研究・社会学など、専攻地域は東南アジア・南アジア・中央アジア・西アジア・北アフリカ・サハラ以南アフリカなど多岐にわたりました。
 議論の共通の土壌をつくるため、読書会から始めることとし、今回は以下のような発表とそれに基づく質疑応答を行いました。

[発表1]
D.Gril, "Doctrines et croyances," A. Popovic & G. Veinstein (eds.), Les voies d'Allah: Les ordres mystiques dans le monde musulman des origines a aujourd'hui, Paris: Fayard, 1996, pp.121-138.
(発表者 東長靖:東洋大学文学部・2-c)
 本論文は、スーフィズムの理論を扱うものであり、@イルム(外的知識)とマァリファ(内的霊知)の違い、Aスーフィー理論の発展、B理論をシャハーダ(信仰告白)に帰することができるという筆者の主張、の順で述べる。Aについては、古典的理論と、イブン・アラビーなど後代の理論を、通時的に述べるものである。これに対してBは共時的立場からの理論の分析である。
 筆者は、高度な神秘主義哲学から民間信仰までをひとつながりのものとして把握しようと努めており、その考えは本件休会の基本的姿勢と一致するところがある。ただし、図式化が先行しすぎ、実態分析と乖離してしまった感も否めない。また、スーフィズムの理論に関する基本文献の紹介も行った。(以上、文責 東長靖)

[発表2]
A.R.I.Doi, "Sufism in Africa," S.H.Nasr (ed.), Islamic Spirituality II: Manifestations, New York: Crossroad, 1991, pp.290-303.
(発表者 石原美奈子:東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻・ゲストスピーカー)
 論文は8節からなる。発表担当者は、論文の細かな誤りや矛盾点を批判的に検討しながらほぼ全文和訳した。論文の構成と内容に関して多くの疑問点があるが、とりあえず論文要旨は以下の通りである。
1.スーフィズムとアフリカにおけるイスラームの広がり:
サハラ以南のアフリカ各地にイスラームが伝わったのは、交易商人及び彼らが同伴した教師や聖者を通じてであった。地元社会に住み着いたこれら宣教者たちは、いずれかのタリーカに帰属していた。その意味で、アフリカにおいてイスラームとスーフィズムは同時に入ってきて、同時に広まった。とくに北アフリカにおいて13世紀以降スーフィズムは急速な広が りをみせ、15世紀以降はスーフィー教団も設立されるようになり、教団ごとにザーウィヤやリバートが建設されるようになった。
2.スーフィー教団:
スーフィー教団は、名目的にしか改宗していない部族民に対して、預言者の頃の純粋なイスラームに回帰することを説く改革運動を推進した。例えば、11世紀にアルモラービド運動がマグレブで起こった。セネガンビアではマラブーを中心とするスーフィズムが発達した。東スーダンではフンジュ時代にヒジャーズからスーフィズムが入った。ここではシャーズィリーヤとハトミーヤ教団が勢力をもっ ている。アフリカの角部ではカーディリーヤとアフマディーヤが発展した。
3.東アフリカにおけるスーフィズムの広がり:
東アフリカではスーフィズムは沿岸部から内陸部へと浸透した。カーディリーヤが最も大きな勢力をもち、次いでシャーズィリーヤ、リファーイーヤ教団が盛んである。
4.西アフリカにおけるスーフィズム:
西アフリカのスーフィズムは、北アフリカのベルベルによって広められた。だが、ベルベルとの違いは、西アフリカではウォロフのアフマド・バンバを例外として聖者崇拝はほとんど見られないことと、教団の数が限定されていることである。西アフリカにカーディリーヤを持ち込んだのは、16世紀のクンタ族のウマル・アッシャイフである。同じくクンタ族のアルムフタールは18世紀にカーディリーヤを復活させ、後の改革運動の推進者たちに影響を与えた。その改革運動の推進者、シェーフ・ウスマーン・ダンフォデイオはジハードを起こして、ソコト・カリフ国の建設に寄与した。ティジャーニーヤは創設されてまもなく19世紀西アフリカ各地に広まった。ティジャーニーヤの導師であったアルハッジ・ウマルは、教団の弟子を勢力基盤にして仏植民地支配に対するジハードを展開し、それを契機にティジャーニーヤは西アフリカ一 帯に広まった。
5.アフリカにおけるスーフィー教団の堕落:
教団の弟子が導師をとくに称賛の対象とすることはあったが、中には導師に絶対服従を誓うあまり、神ではなくこれら導師たちに帰依し、彼らをあたかも聖人のごとく崇拝の対象とする人々も出てきた。
6.新たな傾向:改革の試み:
こうした状況に対してイブン・ジャウズィーとイブン・タイミーヤの思想的影響が各地で聞かれるようになった。
7.サヌースィーヤ教団:
サヌースィーヤの設立者サイイド・ムハンマド・イブン・アリー・アッサヌースィーは、アルジェリア生まれ。彼はカラウィーン大学でイスラ ームの諸学を修め、ヒジャーズではアフマド・イブン・イドリース・アルファースィーに師事し、導師の死後サヌースィーヤ教団を設立した。その後サヌースィーはキレナイカ各地にザーウィヤを建設し、それは地元ムスリム社会の意識改革の拠点となったが、同時にイタリア植民地支配に対する闘争の拠点ともなった。
8.結論:
スーフィズムは、アフリカのイスラームの歩みの中で中心的な役割を果たしてきたし、今日においても重要性を失っていない。(以上、文責 石原美奈子)

なお、当日配布されたくわしいレジュメは第2班事務局に保管されています。