パキスタン南部の神と聖者:その祈りと歌のかたち

                     

                          村山和之

                         (和光大学人文学部兼任講師)

 

 パキスタン・イスラーム共和国を南北に貫く生命の源インダス河。この流れがアラビア海につながるインダス下流域をしめるスィンド州そしてバローチスターン州は、民衆の欲望と畏れを惹きつけてやまないピールたち(イスラーム聖者)と、玄奘の記録にも「外道」と記された多神教(ヒンドゥー教)の神々が穏やかに同席できる磁場となっている。

 今回の報告では、ルーミーと同時代に、「踊り」をサマーとしてこの地に紹介した聖者ラール・シャハバーズ・カランダルL`al Shahbaz Qalandarと、彼の命日祭(ウルス `Urs)に参詣し祈りを捧げる様々な人の姿を中心に映像資料等を使用しながら見てゆくことにした。跳躍するダンスで大地が揺れ、一心不乱に聖者の名を叫ぶ現場に居合わせていたら、この聖者の名は祈り踊る人の所属する宗教によって異なることに気がついた。調べてみると面白いことに、この聖者が民衆から冠せられる呼称の一つは、スィンド人ヒンドゥー教徒が崇拝するインダス河の神の名と重なる。一方では、水の聖者ヒズルKhizrをも機能的に胎内にとり込んでいるようにも伺えるのだ。インダス河を舞台としたシンクレティズムの現状の一端を探る試みである。

 まず最初に以下の歌を見ていただこう、南アジアの大衆音楽に興味があるなら誰でも知っている有名な歌からこの一連の模索は始まる。

 

 

聖者ラール・シャハバーズ・カランダルを歌い込んだ代表的歌謡

 

「ラール・メーリー・パト」「ダマーダム・マスト・カランダル」

  "L`al meri pat" or "Damadam Mast Qalandar"

 

L`al meri pat rakhiyo        おおラール わが敬意 お受けくだされ

bhala Jhule L`alan       偉大なるジューレーラール様

Sindhri da, Sehwan da       スィンドリーの、セヘワーンの

Sakhi Shahbaz Qalandar       慈悲深き シャハバーズ・カランダル

1.

char chera'g tere balan hamesha       4つのランプはいつも燃えている

panjwan balan ayiya       5つめを灯しに参りました

bhala Jhule L`alan       偉大なるジューレーラール様

 

Sindhri da, Sehwan da       スィンドリーの、セヘワーンの

 Sakhi Shahbaz Qalandar       慈悲深き シャハバーズ・カランダル

 Damadam Mast Qalandar       太鼓の轟音に 酔い踊るカランダル

 Sakhi Shahbaz Qalandar       慈悲深き シャハバーズ・カランダル

 Ali damdam de andar       アリーの名こそ 行の源

 Ali da pehra nanbar       アリーの一番弟子でもあるお方

 2.

uchra rouza pira tera       高くそびえるあなたの館(廟)

hit wage daryave       そばを流れる インダスの大河

bhala Jhule La`lan       偉大なるジューレーラール様

 3.

mawannon pira bachre dendan       女たちに子宝をお授け下さい

behenanon dendan vir mila       異国にいる兄弟たちに会わせて下さい

bhala Jhule L`alan       偉大なるジューレーラール様

    *

 4.

dar te pira tere nobat baje       いつもきこえるノウバットの響き

nal waje gariya       時を同じく大時計の鐘もなる

bhala Jhule L`alan       偉大なるジューレーラール様

    *

 

言 語: サラーイキー語 Saraiki Language (Panjabi family)

 

 

 歌詞は、内容によって祈願と聖者廟賛美の二種類からなるが、一見したところ、この聖者にのみ特有な歌い言葉が隠されているようには見えず、ごく一般的な聖者賛歌の部類に属していると言える。

 ところで、この歌は民謡起源とはいえ、本当に聖ラール・シャハバーズ・カランダルというイスラーム聖者を讃える為のものなのだろうか。聖者の奇跡や慈善行為に対する敬慕の念に加えて、インダス河の流れでつながるパンジャーブやスィンド土着の民俗信仰的要素がこの歌の中に奥底深く、さらには聖者自身の中に見え隠れしているからこそ、民衆の文化的無意識に響き未だに滅びることなく伝承されているのではないだろうか。

 何よりも注意を奪われるのが、この歌が捧げられる主体として登場するラール・シャハバーズ・カランダルと並立して名を呼ばれる、ジューレー・ラールという「ラール」の呼び名を共有する聖者あるいは神格の存在である。彼を守護聖者と崇めるバローチスターンの住人バローチ民族の宗教歌謡のジャンルでは、ジューレー・ラールとラール・シャハバーズ・カランダルを同一視している。ジューレーは「揺りかご」の意味を持ち、転じてこの聖者が眠る棺を含めた聖廟ダルガー dargahを指す。呼称こそ訛っているが、要は同じ聖者を意味するのだと短絡的に結論を出したいところだがそれは危険である。

 なぜなら、スィンド地方には他の地域でみられないインダス河と関係した水の聖者ウデーロ・ラール Udero L`alと、それと同一視されてヒンドゥー教徒たちから信奉されるインダス河の神ジューレー・ラール Jhule L`alという神格が存在しているからである。さらには、同じ水の聖者として中東からアラビア海、インダス河を遡って渡ってきたヒズルKhizrの南アジア版フワージャ・ヒズルKhwaja Khizrとジューレー・ラール、ラール・シャハバーズ・カランダルの習合が複雑に見られる。まずは中心となる聖者の履歴から。

 

イスラーム聖者ラール・シャハバーズ・カランダル

 

 通称: 聖ラール・シャハバーズ・カランダル Hazrat L`al Shahbaz Qalandar

 本名: ムハンマド・ウスマーン・マルワンディー Mohd.Uthman Marwandi

     1177年~1274年(シャーバーン月21日、673 A.H.

   ダルガー

 墓廟: パキスタン、スィンド州セヘワーン・シャリーフ Sehwan Sharif

祭 : ウルス `Urs シャーバーン月19、20、21日

 儀礼: ダマール dhamalと呼ばれる神秘舞踏

呼称について、「ラール l`al」という語は、俗説によれば赤色・ルビー色を表すペルシア語であり、この聖者が常に着ていた衣服の色が赤であったという言い伝えから冠されたという。次の「シャハバーズ shahbaz」は、高貴な隼の意味で、一人で高き空を舞うことから神秘主義者の修道の一シンボルとも考えられている。「カランダル qalandar」とは、イスラームの義務である社会生活を放棄して、剃髪し、家族・財産などの全てを捨てて遊行して回っていた托鉢僧(ダルヴェーシュ)の総称である。シリアに13世紀はじめサーウィーによって開かれた神秘主義教団カランダリー派とは、この文脈では、直接関係はないと思われる。

 以上の三語が並べられて「スィンドの高貴なる赤い隼(のカランダル)」が生まれた。だがここでも、「ラール」という語が冠されているのは赤い衣を纏ったこの聖者だけではなかったことを想起しないわけにはいかない。ジューレー・ラール、ウデーロ・ラールのみならず、現在でも、ヒンドゥー教徒の名称の一部として「ラール」は広く使われている。

当然のことながら、その場合「ラール」は「赤」の意味ではなく、「親愛なる、最愛なる人、恋人beloved, dear」や、親しき者への呼びかけとして「あなた、おまえ darling」の文脈で使われながら、その対象である聖者や神格をも言い表すようになった。

 

 スィンドのラールたち

 

 1.ジューレー・ラール Jhule L`al       スィンド・インダス河の神

 2.ウデーロ・ラール Udero L`al       スィンド・インダス河の神

 3.シェイフ・ターヒル Sheikh Tahir       スィンド・インダス河の聖者

 4.フワージャ・ヒズル Khwaja Khizr       水と関わる聖者

 

 *シンドゥ Sindhu リグ・ヴェーダ中の河川の王者インダス河

「ヴァルナは汝のために道を切り拓けり、進行のために、シンドゥよ、汝が勝利の賞に向かって走りいだせるとき」「シンドゥは、軽快にして・馬をつけたる車を装いたり」

 

1.ジューレー・ラール

 ジューレー・ラールという名詞は、「揺れ動くこと to swing、揺りかご a cradle, ブランコ a swing」を意味する「ジューラー jhula」というヒンディー語の男性名詞に、恋人や神を意味する「ラール」を添えて作られている。その意味は表しにくく「揺れ動く河の水の神」であるとか、ヒラナンダーニがいうように水の神をあらわす別称「ドゥーロハ」の意味を取って「愛しき花婿(の君)」とでもいおうか。

 例証を求めてヒンドゥーの賛歌集を紐解くと,「アマル・ラール Amar L`al不死なるお方」や「ドゥーロハ・デーヴァ Dulha Deva花婿神」も、この神をあらわす名称として確認されている。バローチ族は、「ジーヴェー・ラール Jive L`al 」「ジューベー・ラール Jube L`al」の名を自らの守護聖者と仰ぐセヘワーンのラール・シャハバーズ・カランダルに与えている。 

 これほどヒンドゥーにもムスリム(スンニー、シーアを問わず)にも親しまれている信仰対象であるが、奇異なることにその素性に関して有効な伝承資料が確認されていない。調べた限りでは一部のスィンド紹介本を除いて、ジューレー・ラールというヒンドゥー神格は、シヴァやヴィシュヌや大女神らが活躍するいわゆるヒンドゥー・インド神話のどこにも登場しない。定義すれば、「インダス河の水が神格化されたもので、スィンド地方のヒンドゥー教徒にとっては唯一の郷土神である」ということである。しかし、後述するウデーロ・ラールとの区別がスィンド人の中でも明確でなく、どこまで分離させ単独で扱えるかが難しい対象となっている。

 彼の姿はシク教の歴代のグルたちの肖像のように髭をたくわえた男性の姿で描かれる。顎髭も口髭も白いので老人の姿と言っても良いだろう。黄金の冠は宝石と孔雀の羽で飾られ、光背を持つ。額の印(tilak)は他のどの神にも見られない独特のマークである。数珠や花輪を首にかけ、右手を胸の前であげるか、ホジャキーKhojakiに似た文字で書かれた経文を両手で開いている。衣服は白い質素なクルター(長裾シャツ)にドーティー(腰巻き)を着け、コートを着た上からまたは直接クルターの上に赤いショールをかけている。体をわずかに右にひねり右足を上に胡座をかいて蓮華に座り(立像もある)インダス河を代表する魚パッラPallaがそれを下から支えて泳いでいる。

 神殿においての祀り方は、前述した神様絵やインドなどでは石像を安置するが、それらすら入手できない場合は、四隅と中央に正面を向いた鳥(鶏か孔雀)の飾りをつけた緩やかなドームをいただく箱形の金属製ランプが置かれ常に灯がともされる。

 

2.ウデーロ・ラール

 ジューレー・ラール自身を単体で扱った伝承というものは皆無である。見出しではその名ででていても、行を進めていくうちに必ずウデーロ・ラールが登場してくるからだ。実際ウデーロ・ラールとのコンビなしでは、ジューレー・ラールだけで神話・伝承が成立しないのかもしれない。ここでは、ウデーロ・ラールとジューレー・ラールの伝承を見よう。

 まず紹介するのはインドのムンバイー在住のスィンド人研究者ポーパティ・ヒラナンダーニ著『スィンド人』からのジューレー・ラールである。

 

 水の神は、ヒンドゥー教徒たちから親愛を込めてドゥーラフDoolahu、ドゥーラフラールDoolahul`alと呼ばれている。ヒンディー語でドゥーロホ Doolohoという語は「花婿」を意味する。ラージャスターニー語で恋人(beloved)を意味するドーラDolaという語と関連しているのだ。この神をジューレー・ラールJhule L`al「ゆらゆら揺れ動いている神・恋人」と呼んでいる(水というものは常に揺れ動きその波は前後に打ち寄せ続けとどまることがない)。しかし、私たちにとって水の神の名前はウデーロ・ラールUdero L`alである。この言葉はサンスクリット語で水を表すウダカUdakaとの繋がりが深い語である。私たちはこの神をズィンダピールZindah Peer、つまり今も生きている不可視の聖者・神であると信じている。彼はまたヴェーダに登場するヴァルナ神Varuna devでもあり、パロ魚の上に乗っている。

 

 次にウデーロ・ラールの伝承を紹介するアボットの報告から全体像を見てみたい。

 J.Abbott 1924 SIND A Re-Interpretation of the Unhappy Valley. pp.101-2

 

 ダリヤーパンティ Daryapanthis

ダリヤーパンティこと「河の神・王」の信奉者たちはウデーロ・ラールの誕生を次のように語る。11世紀の初め、マラフがタッタTatha市の王だった頃、ヒンドゥーたちはムスリムたちに虐げられていた。スィンドの国をイスラーム教一色に塗り変えたかったのだ。ヒンドゥーの長老会は三日間の改宗猶予期間を勝ち取り、タッタのインダス河岸へ行って三日間祈りを捧げた。すると祈りが終了する間際になって河からこんな声が聞こえてきた「今日から八日の後に、ナスラプルNasrapurの町に私は生まれよう。ウデーロ・ラールという名で」こうしてウデーロ・ラールは誕生した。赤子は瞬く間に若者に成長し、黒い髭が生えて成人した後は、白髪の老人の姿になった。そんな話を聞いて、王の宰相は彼にタッタへの出頭を命じた。しかし宰相の追跡にも関わらず、タッタにおいて武装した大軍の目前に、彼は突如として、河の中から出現した。王は彼の不思議な力をヒンドゥーたちのイスラームへの改宗に使おうとしたのだが、ウデーロ・ラールは王の面前で毅然としてこう言い放った。「トルコ人(ムスリム)もヒンドゥーも神の前では同等だ」。宰相の助言で王は彼を逮捕しようとしたが誰も捕まえることができなかった。姿を空気や水に次々と変えて消えてしまったからだ。そこで王はヒンドゥーに対する強制改宗に踏み切ると、ウデーロ・ラールは王の町を炎上させ破壊してしまった。後悔した王が許しを乞うと、ウデーロ・ラールは全人民に対して完全なる信仰の自由を与えることを主張した。

 12才になった時、ウデーロ・ラールは彼の従兄弟にダリヤーパンティ派の創始を命じ、ランプと剱の他、供犠用の聖水壺などを賜った。ムスリムたちは奇跡によってもとのイスラームを信じることが許された。ウデーロ・ラールは一人のムスリムの持つ土地を譲り受けたいと願っていた。ムスリムは妻の忠告を聞いてウデーロ・ラールを灼熱の太陽が照らす野へ置き去りにした。しかし戻ってきてみると、一本の大木がいつの間にか繁りウデーロ・ラールをその木陰に守っていたのである。ムスリムは無料で彼の土地を譲渡した。ウデーロ・ラールはその地面を打って、中からダイヤモンドとルビーを取り出してムスリムに賜ると、馬とともに地中に呑み込まれ姿を消した。

 王はウデーロ・ラールの廟をその場所に建立する事にし、夜間に聞こえてくる声の導きで廟を立てた。ヒンドゥーはその隣に廟を立て、ランプの灯を灯し続けている。

 この二つの廟は現存している。ムスリムはヒンドゥー側の廟へは行かないが、ヒンドゥーは両方の廟へ詣でる。たくさんのランブはヒンドゥーたちの手で管理され灯されている。ムスリムはお布施を集めるだけである。地中に隠れた地点の廟には5つのランプが置かれ、夕暮れに灯される。もう一つの廟では一日中ランプの灯は消えることがない。聖なる木は今もあり、一般人が触ることは許されない。その木の種は不妊症の治療薬になる。

 チャイトラ月(3月中旬から4月中旬にかけて)の初日に、祭が行われ、信徒たちがスィンド各地、パンジャーブ、クッチー(西インド)からも訪れる。

 

3.シェイフ・ターヒル

 アボットの記述にもあるように、ウデーロ・ラールが地中に消えたとされる場所は「ウデーロ・ラール」の名でヒンドゥー・ムスリムが互いに訪れる聖地となっている。ウデーロ・ラールの村は、インダス河左岸と平行に走るスーパーハイウェイを北上し、ハイデラバードとスィンドが誇る神秘主義詩人シャー・アブドゥル・ラティーフ廟があるビットシャーとのほぼ中間に位置するハイバルKhaibar分岐点から、東へマンゴーや綿花畑の中の一本道を自動車で約6分ほど走ったほぼ突き当たりにある。小さなバザールを通ると広場があり、その中央に白塗りの城壁に囲まれた聖地が現れる。

 およそ60×80mの境内は、回廊、巡礼者の宿泊施設、井戸の設備を持っている。正面向かって左から、墓守一族の墓室、ホール、ウデーロ・ラールことシェイフ・ターヒル廟、その隣にウデーロ・ラールことジューレー・ラールの御座所(バイタク baithak)、そしてムガル時代に建築されたというマスジッドが並んでいる。シェイフ・ターヒル Sheikh Tahirはウデーロ・ラールがムスリムの聖者として祀られている時の名前である。ムガル帝国時代タージマハルを作ったシャージャハーン帝の命令によって建てられたという美しい廟の中に、柵に囲まれた立派な棺がある。そこで廟の管理をしている墓守男のスィンド人、ムハンマド・イスマイル・シェイフ氏(に尋ねると、「ウデーロ・ラールまたはジューレー・ラールはヒンドゥーの呼び方。ムスリムはシェイフ・ターヒルと呼ぶ。どちらも同一の聖人である。ムスリムはこの棺の方へお祈りに来るし、ヒンドゥーは壁を隔てて隣室のウデーロ・ラールへもゆく」という。さらに「ヒンドゥーたちはチャイトラ月、ムスリムはズルハッジ月にそれぞれのお祭をする、いずれの祭もヒンドゥー・ムスリムは同じように参詣に来る。この場所では双方とも愛で結ばれ、同じ場所でノウバットの音に身を任せてダマールを踊り、同じ場所で同じ飯を食うんだ。日常の儀礼としては、朝4時と夕方6時にダマールを男女ともに踊る。ムスリムのフワージャ・ヒズルとここのウデーロ・ラールは同一の聖者だ」という言説である。

 

4.フワージャ・ヒズル

 『イスラーム百科辞典』でウェンスィンク(A.J.Wensinck)が指摘しているように、聖者ヒズルは、「水」と「不死」と「魚」がキーワードとなっている物語にその源泉を辿るのであれば、メソポタミアのギルガメシュ叙事詩、アレクサンドロス大王のロマンス、そしてユダヤ教の預言者エリヤ伝説のエピソードが『クルアーン』に受け継がれ、イスラーム世界広域にまで伝播した「水と不死の伝説の聖者」である、と言えよう。

 南アジアでは、イスラームとともに伝えられてフワージャ・ヒズルと呼ばれるようになる。インダスからベンガル地方まで様々な名称で呼ばれながらも定着している、例えば、ヒンドゥー教の影響の強い所ではラージャー・キダル Raja Kidar、ベンガルではピール・バドル Pir Badr、そしてスィンドではフワージャ・ヒズルの他にズィンダ・ピール「生きた聖者」ともいわれている。フワージャはペルシア語で「主」そしてヒズルはアラビア語で「緑色」である。常に緑色の服を着ているからヒズルという名で呼ばれている。海や川や井戸など水のあるところにはどこにでもいると信じられているので、特に祀るようなことは少ないが、インダス河中流域サッカルのバッカルにあるウデーロ・ラール廟が、フワージャ・ヒズルの廟とも重ねられて祀られている。大水門が完成する以前までは、年に一度、パッラ魚(ジューレー・ラールの乗り物)がそこにお参りするため下流からここまで上ってきていたそうである。この廟は、西暦925年にデリーの商人によって建立されたという。彼の娘がメッカ巡礼に行く途中で、好色なヒンドゥー王に拐かされそうになった際、この聖者に祈りを捧げると、フワージャ・ヒズルはインダス河の流れを変えてその王を滅ぼした。父親はそれを感謝して廟を奉献した。

 

習合の現状

 クルゥクは『宗教・倫理百科事典』「スィンド」にわざわざ「イスラーム教のヒンドゥー教との混交 The fusion of Islam with Hinduism」の項を設けている。

「我々はスィンドにおいて、おそらくインドの他地域のどこよりも注目すべきかたちで、イスラーム教とヒンドゥー教の融合・混交のさまを見るであろう。ヒンドゥーはムスリムの弟子や信奉者になるし、その逆もまたよく見られる。そこでは、両宗教の信徒たちが同一の聖者たちを信奉するだけではなく、同一の聖者をそれぞれの宗教によって異なった名称で信奉することも行われる。ヒンドゥーは河の神をジンド・ピール(生きている聖者)の名で呼ぶのに対して、ムスリムはフワージャ・ヒズルと呼んでいるように。同様にヒンドゥーにとってのウデーロ・ラールは、ムスリムにはシャイフ・ターヒル、ヒンドゥーのラーラー・ジャスラージがムスリムにはピール・マンゴーとなる。ヒンドゥーが、聖人たちは自分たちに帰属するのが正当だと主張すれば、ムスリムは同一の聖人に新しい名称を被せて自分たちの聖人とするのだ」

 今まで見てきた神・聖者習合の現状はクルゥクの時代と基本構造は変わっていない。しかし一見して同一の対象に名称が何重にも重なって関係性が見えにくい極みに達しているといえるだろう。伝承の年代を遡って行けばインダス渓谷の水を司ってきたフワージャ・ヒズル(イスラーム聖者)が記録にあるものとしては最古層に位置する。その次に登場するのがウデーロ・ラール(ヒンドゥー神)で、ついでウデーロ・ラールのイスラーム色の強いシェイフ・ターヒル(イスラーム)がラール・シャハバーズ・カランダルと同時代人として登場する。

 ところが肝心のジューレー・ラール神は20世紀末の現代、名称の知名度こそ高く、図像も神殿もあるものの、ウデーロ・ラールの伝承と一体化しない限り、それ自体何の神であるかすら疑問に思える程、実体が見えぬ対象である。つまり「ジューレー・ラールは、ラール・シャハバーズ・カランダルであり同時にウデーロ・ラールでもある、ムスリムたちにとってはフワージャ・ヒズルであるがヒンドゥーはフワージャ・ヒズルとの一致は認めない」ということができる。ウデーロ・ラールとシェイフ・ターヒルとの同一性を引き合いに出せば、全ての聖対象にジューレー・ラールは習合している。

 ただ特筆すべきは、ラール・シャハバーズ・カランダルと同等の立場で唯一習合しているのが、ほかならぬこのジューレー・ラール神だけである事実だ。民衆にとってラール・シャハバーズ・カランダルを愛し彼に祈りを捧げることが同時にジューレー・ラールにも同様の行為を及ぼしていることにもなり、たとえ別々の名称で祈ったとしてもセヘワーンのダルガーは一つである。

 こうしてみてくると、ジューレー・ラールとウデーロ・ラールはもともと一つの対象として「ウデーロ・ラール」という名称で信仰されていたことに合点がゆく。かつてヒンドスターニー語から、ウルドゥー語とヒンディー語という姉妹言語が生まれたようにヒンドゥー神・聖人であったウデーロ・ラールから、ムスリムたちの運動によってイスラーム色の濃いシェイフ・ターヒルが200年かけて分かれ、さらに700数年たった現代に、よりヒンドゥー色の純粋なジューレー・ラールがスィンド人の神として、新たに救済の為に降臨してきたのだ、と私は考える。では降臨すべきスィンド人の苦境とはなんだろう。さらに詳しく神話・伝承を集めることによって更なる「ジューレー・ラール神研究」が可能になるはずである。

 

参考資料

 

M.Longworth Dames 1907 Popular Poetry of the Baloches.

Jean During 1989 Musique et Mystique dans les traditions de l'Iran. Paris-Tehran.

Mohammad Taqi Massoudih 1346(A.H.) Musiqi-e-Baluchestan. Tehran.

Inam Mohammad 1978 Hazrat Lal Shahbaz Qalandar of Sehwan-Sharif. Karachi.

Dr.N.B.G.Qazi 1971 Lal Shahbaz Qalandar 'Uthman Marwandi' Lahore.

小西則子 1995 「赤い鷹のカランダル」、『インド・道の文化誌』 春秋社

村山和之 1992 「赤い隼の歌をめぐって」『象徴図像研究 Vol.VI

Popati Hiranandani 1980 Sindhis, the Scattered Treasure. New Delhi.

J.Abbott 1924 SIND A Re-Interpretation of the Unhappy Valley. pp.101-2

Richard F.Burton 1851 SINDH, and the Races that Inhabit the Valley of the Indus.

http://sunflower.signet.com.sg/~makhdoom/jhuley.html

http://sunflower.signet.com.sg/~makhdoom/cheti.html