シリア・レバノンにおける研究動向調査

(黒木英充)

[期間]1997年9月27日〜10月27日
[出張先]シリア、レバノン
[目的]シリア、レバノンにおける研究動向の調査
[報告]約1ヶ月の滞在の大半をシリアでの調査にあて、レバノンに関しては都合により10月10日から13日までの実質3日間だけの調査となった。

シリアでの活動

1.アレッポ大学学術交流日本センターの訪問

同センターは、1995年に正式にシリアの高等教育省の承認を得てアレッポ大学アラブ伝統科学研究所内に設立されたもので、所長はアレッポ大学学長のムハンマド・アルフーリーヤ氏の併任であるが、実質的運営は主幹の奥田敦氏(元国際大学中東研究所研究員)が一手に引き受けている。活動内容としては、月例講演会、日本語講座、核と平和に関する文学・絵画コンクール、広島原爆展、日本映画週間、諸シンポジウムの開催や日本からの学生の研修ツアーの受け入れ、と極めて多彩である。月例講演会は今年6月までに14回開催され、日本に滞在経験のあるシリアの知識人を講師として主に迎えており、かつて文部省科研費重点領域研究「イスラムの都市性」で研究協力した建築専門のムハンマド・サカー・アルアミーニー氏による「日本の伝統建築」や、東京外国語大学客員教授であった作家のワフィーク・ハンサ氏による「日本の個性」といった講演がなされた。講演は毎回約100人の聴衆を集めるほど盛況とのこと。また日本語講座は1995年から開始され、本年からは海外青年協力隊の日本語講師を迎えて本格化し、レベルに応じた7クラスが週2回開かれているという。アレッポ大学内に研究室を3室もち、秘書がついて大学側の校費の支援は若干あるものの、運営の大半にかかわる予算措置は日本側からも全くとられておらず、奥田氏の献身的努力にのみ依存している状態である。パソコン一つでシンポジウムのアラビア語報告書作りから、講演会の案内郵送先のデータベース作成、昨年までの日本語教材作りまでこなす氏の八面六臂の活躍ぶりには頭の下がる思いがした。また、単に日本の研究者のためのみならず、現地の人々との文化・学術交流を実践している状況を目にして、今後、日本が中東地域に現地研究施設をつくることができた場合の一つのモデル・ケースになりうると考えた。なお、奥田氏の専門であるイスラーム法学、とりわけ法源論研究に関連しても話を伺う機会があり、「イジュティハードの門の閉鎖」をめぐる新たな研究の展開が見られることを確認した。氏はアレッポ市内のウラマー(というかアーリム)と直接対話しつつテキスト解釈を厳密におこなうユニークな研究を進めており、その古典的研究方法とコンピュータ利用との組み合わせの妙に考えさせられることが多かった。 なお、アレッポではドイツのテュービンゲン大学のルディガー・クライン氏と面会して情報交換をおこなった。氏はアレッポのヨーロッパ人名家の商業文書(18〜20世紀)の分析をおこなっているが、筆者の研究テーマと近いこともあり、今後の互いの研究の発展を励まし合った。

2.ダマスクスの歴史資料センターでの調査

同センター(センター長:ダァド・アルハキーム氏)では、筆者自身の研究テーマに沿った文書調査を進めるとともに、そこで進行中の法廷文書台帳データベース化推進国際協力事業について情報を得た。大河原知樹氏(慶応義塾大学大学院博士課程)は同センター所蔵のオスマン時代文書資料のデータベース化のために国際協力事業団の海外青年協力隊員としてシリアに派遣されているが、本年6月からダマスクスのフランス・アラブ研究所の研究員ブリジット・マリノ氏(氏はダマスクスの南部郊外地区に焦点をあてたイスラーム法廷記録を使った社会史研究書を本年同研究所から出版している)と共同で、オスマン期法廷文書の台帳のデータベース化を推進している。イスラーム法廷文書は、過去の日常生活に密着した情報を豊富に持っている点で極めて重要な、そして未発掘部分が広大な点で非常に魅力的な歴史研究の素材であるが、その数の膨大さと台帳自体の整理の不完全さとのゆえに、これまで研究者の側に多大な事前調査の負担を強いてきた。大河原氏が進めているのは、ダマスクスに関する約1500冊、アレッポに関する約1000冊、その他ハマー、ホムスといった都市に関するものも含めた膨大な数の法廷記録台帳の頁数、文書数、台帳のカバーする年代、法廷名、台帳の寸法、その他のチェック項目を立ててカード化し、コンピュータを使ってデータベース化することである。その成果はフランス・アラブ研究所から出版される予定とのこと、今後研究者のために大きく裨益するものと期待される。また新しい国際的学術協力事業としても評価されるであろう。

3.在ダマスクス・ドイツ考古学研究所の訪問

この訪問では、同研究所の研究員シュテファン・ヴェーバー氏と面会して情報交換をおこなった。氏の専門は近代シリア都市とりわけダマスクスにおける建築であり、前近代の都市景観がいかに変容したかに注目して研究を進めているとのこと。氏は北米中東学会(MESA)の下部組織「シリア研究協会」(Syrian Studies Association)の代表リンダ・シルヒャー氏と共同して、来年11月にアメリカのアーカンソー大学で開催される「ビラード・ッシャーム会議」の「変容と持続:都市構造における地理的・経済的・政治的・社会的変容と持続の諸指標」と題する18・19世紀を中心としたパネルを組織しており、筆者が面会したのも、そこで報告すべき内容のサマリーを締め切り間際に手渡すという用事があったからでもある。この会議ではアメリカ、シリア、ドイツ、フランス、日本の研究者約30人が集まって5日間にわたって集中的に討議することが計画されている。(その後、本年11月22〜24日にアメリカ・サンフランシスコで開催された第31回北米中東学会におけるシリア研究協会事務会議で、経済的な問題から、ビラード・ッシャーム会議は残念ながら延期されることが決定された。)

4.在ダマスクス・フランス・アラブ研究所の訪問

所長のミシェル・ニート氏と面会したほか、たまたま同研究所を訪問中であったチュニジアの「テミーミー研究所」所長のアブドゥルジャリール・テミーミー氏を囲む懇談会に出席し、今年12月に本「イスラーム地域研究」プロジェクトで来日される予定の氏に一足早くお目にかかることができた。またシリアの都市建築史専門で本年5月に文化科学高等研究院の福井憲彦氏(学習院大学教授)の招きで来日したフランス研究所研究員アブドゥッラッザーク・モアーズ氏とも再会した。彼とは8年来の知り合いであり、最近の研究について情報交換した。
なお、ダマスクスでは、1987年にアジア経済研究所に客員研究員として来日・滞在されたアブダッラー・ハンナー氏とも面会し、氏の最近の近代アラブ知識人研究についてお話を伺った。
なお、シリアにアメリカの現地研究センターが設置されるとの情報を聞いて日本を出発したが、ダマスクスで実際にアメリカ大使館の文化担当官に聞いたところでは、まだ先のことになる、との話であった。

レバノンでの活動

レバノンは日程の都合上、週末をはさんだ3日間だけの訪問となってしまったが、レバノン大学助教授のアブダッラー・サイード氏(専門はレバノンの土地所有関係を中心とした社会経済史)に再会し、最近レバノンでもイスラーム法廷記録の分析を中心にした歴史研究が進展しているとの情報を得た。オスマン期のトリポリの歴史についてシンポジウム報告をまとめた研究書(al-Mu'tamar al-Awwal li-Ta'rikh Wilaya Tarabulus ibban al-Hiqba al-'Uthmaniya, 1516-1918)が1995年にレバノン大学から出版されているが、そこにも法廷記録に基づいた研究がある。また、氏に案内されてシューフ山岳地方のウバイヤ村に住む郷土史家ナディーム・ハムザ氏をたずね、周辺に点在するドルーズ派名家の邸宅跡やベイルート・アメリカン大学の前身アメリカン・プロテスタント学校跡、カプチン会伝道団学校跡などの史跡を見せていただいた。多少脱線した回想を許していただくならば、その村にあるドルーズ派孤児院学校とドルーズ派聖者の墓廟が一緒になった施設の女性院長の事務所に案内された際、ブラジルのレバノン移民二世のギリシア正教徒で、ドルーズ派思想を研究したいという中年の男性に出くわした。彼はもはやアラビア語が話せず、ドルーズ派のポルトガル語を話す女性を通訳としていた。たまたまその通訳が院長とのおしゃべりに興じていたとき、筆者は片言のフランス語で彼と会話したが、その彼に、自分には日系移民の友人がたくさんいるよと言われたときには、その瞬間の自分を取り巻く複合的な地域の不思議さに感じ入った。
なお、レバノンではジューニエのカソリック大学大学院生のアントワン・ハブシ氏とも情報交換をおこなった。氏とは今年初めにフランスのナントの外交資料センターで調査しているときに出会ったが、専門がオスマン期アレッポのマロン派の歴史であり、久しぶりの対話から大きな刺激を得た。

全般的に、シリア・レバノンでは堅実なイスラーム法廷記録の分析を中心とした歴史研究が進展しており、これが最近の研究動向と見なしうると観察した。また筆者自身の研究のための調査(18世紀後半のアレッポのオスマン文書資料分析)も進めることができて、大きな成果が得られた。最後になったが関係各位への感謝を申し上げる。