トルコ出張報告

(報告者:間寧、1997年8月28日)

7月28日成田発〜8月10日成田着でトルコのアンカラとイスタンブルに出張した。
第1の目的は、トルコ政治の研究動向調査、第2の目的は、トルコにおける市民社会の現状についての調査である。以下に出張報告を行う。

トルコ政治の研究動向
 1980年代までのトルコ内政の分析は、国家論、官僚制、政党政治、選挙といった国家および制度的側面に重点が置かれていた。 そこでは、トルコの国家・社会関係を第一義的に規定しているのは強い国家であることが前提とされていた。これに対して、1990年代以降、社会を分析の対象にする動きが徐々に現れつつある。その理由の一つは、1980年代以降のトルコ社会におけるイスラム運動の台頭を分析するのに、「強い国家」という静態論が有効を欠いていたことにある。もう一つには、1990年代後半になると、市民社会の組織・運動がトルコ内政を語る上で無視できない存在になった。国家中心的、制度的な分析手法はトルコ政治一般の分析で重要性を失ってはいないが、これを補完する形で社会中心的な分析手法が現れてきているのが現状である。
 政治研究を行うトルコの大学の中で優れた人材を集めているのは、ビルケント大学(アンカラ)とボスポラス大学(イスタンブル)であろう。前者はトルコ初の私立大学として1980年代前半に設立された。その財政力から、国立大学の有名教授を高給で引き抜いたり、図書館の新規蔵書に毎年260万ドル支出したりしている。 同大学政治学科教官による最近の主要な研究業績は以下の通り。  後者のボスポラス大学政治学科では、議会研究のErsin Kalaycioglu、政党政治・投票行動研究のUstun Erguder、宗教・社会研究のBinnaz Toprakなどを挙げることができる。彼らによる最近の主要業績は以下の通り。
市民社会
 トルコには現在、財団が2,700、社団が50,000、公的職業団体・労働組合・経営者組合・協同組合が合わせて1,200ほど存在すると言われている。このうちの3分の2が1980年以降、特に1990年代に設立されている。つまり、トルコにおいて1990年代は市民社会組織の急成長の時期である。1996年6月に成立したイスラム派首班連立政権を1年で崩壊させたのは軍部の圧力だけではない。主要な市民社会組織が(労組と経営者連盟も)連帯して同政権に退陣を迫った。また同時に、国家の政治弾圧や暴力組織との癒着を糾弾する市民的不服従運動も起き、行方不明者肉親の毎週の座り込みや毎夕9時の1分間消灯運動などが行われた。
 今日のトルコにおいて、市民社会組織の活動についての新聞報道には事欠かなくまた一般の関心も高まりつつあるものの、その現状に関する書籍は非常に限られている。このため著者は同テーマに関する一次資料探索として、国会図書館で国会議事録所収の国会質問に当たった。1983〜97年における国会質問を社団(26件)、財団(62件)、労働組合(97件)について調べたところ、
  1. 社団の権利と自由が充分に保障されていないこと
  2. 財団が急速な成長を遂げている一方で、非合法な営利活動や宗教活動が横行していること
  3. 労働組合活動が国や雇用者から不当な扱いを受ける場合が依然としてあること
が明らかになった。より詳しい分析は後に行う。
滞在雑感
 トルコは、義務教育の期間をそれまでの5年から一貫制の8年に延長した。イスラム派首班内閣の後を受けた中道右派首班内閣が、8月16日に法案を成立させたのである。8年制一貫義務教育は、トルコ軍部が今年2月末の国家安全保障会議で当時のイスラム派首班内閣に要求したうちの主要項目だった。それはまた、トルコ歴代政権が過去四半世紀にわたり(宗教勢力への配慮から)実現に失敗してきた懸案でもあった。
 というのは、中学校教育が義務化することは、現存の宗教専門(中等・高等)学校であるイマーム・ハティップ学校の中等科が廃止され、高等科だけ残されることを意味する。イマーム・ハティップ学校は実際には、普通校と遜色のない一般教育に加えて、宗教教育を行っている。子供に一般教育と信仰心を同時に身につけさせたい親にとっては好都合である。実際、同校卒業生の9割は宗教職でなく一般職に就いている。
 トルコの軍部を含む世俗エリートは、イマーム・ハティップ学校卒業生の近年の急速な増加がトルコ社会のイスラム化やイスラム派政党支持基盤の拡大につながっているとの危機感から、義務教育8年化を強く求めていた。これに対しイスラム派勢力は、信仰心を植え付けるのに高等科からの宗教教育では「手遅れ」であるため、全国各地でのデモや請願活動で、イマーム・ハティップ学校中等科廃止に強く反対した。
 筆者がアンカラに到着した7月29日は、国会周辺への交通が遮断されていた。国会審議中の義務教育期間延長法案に反対するイスラム派約4千人の抗議行動が予定されていたからである。7月末実施のPiar Gallup世論調査によれば、8年制一貫義務教育導入に国民の58%が賛成しているが、反対も35%に上っている。今回実現した義務教育期間延長は、トルコ社会の近代化には避けて通れないものの、社会の両極化の危険をも伴っている古くて新しい問題である。