5A聖者信仰研究会・2Cスーフィズム研究動向研究会合同研究合宿発表2

31/1/1998

関西大学100周年記念セミナーハウス 高岳館

 

砂漠の聖者の末裔たち―聖者性の継承についての事例研究

赤堀雅幸

上智大学アジア文化研究所

 

砂漠の聖者

 

生きている聖者と死んだ聖者

聖者に関する伝承

聖者の外来性

 

聖者の末裔部族

 

聖者の性質の継承

部族qabiilaの形成

廟の守護、定期的な儀礼の執行など

 

部族構成の観点から

 

サアーディーとムラービティーン

緑のムラービティーン

原理とその補完として

 

聖者信仰の観点から

 

聖者信仰の組織的基盤・信仰の核

両義的性質

聖者性の可視化

 

外なる内・内なる外としての聖者

 

信仰の具象化

聖者の抽象化

 

資料1:(省略)

 

(赤堀雅幸「つながれた人びと―エジプト西部砂漠ベドウィンのムラービティーン概念をめぐって―」『現文研』(専修大学現代文化研究会)第72号、1996年)

 

 

資料2:

 

(赤堀雅幸「ベドウィンのイスラーム」片倉もとこ編『イスラーム教徒の社会と生活』東京:栄光教育文化研究所、1994年)

 「スィディ・アブドゥッラフマーンは100年ほど前の人で、元来は西からナイル・デルタへヒツジを売りにくる商人だった。

 彼は正しい信仰者で、誰に対しても公正な人物であり、読み書き弁舌に堪能であった。それで、今のスィディ・アブドゥッラフマーン村の近くにいたベドウィンたちは彼に頼んでそこに住んでもらうことにした。彼は子供にコーランの読み方を教えたり、契約の証人となったり、いさかいを仲裁したりしてくれたので人々は彼に大変感謝していた。

 ある時、以前の商売仲間が彼のもとを訪れたが、この男はよこしまな人間で、誰も見ていないとるとスィディ・アブドゥッラフマーンを殺して砂漠に埋めてしまった。男はスィディ・アブド・ッラフマーンは急用で西へ旅立ったと人々に告げ、自身はカイロに行ってスィディ・アブドゥッラフマーンから奪った物を元手に財を成した。

半年後、男はカイロから戻ってきたが、スィディ・アブドゥッラフマーンを殺した場所にさしかかると、冬だというのにそこに見事に大きなスイカが実っているのを見つけた。男はそのスイカをリビヤのサヌースィー王に献上することにした。王の御前に出た男はナイフをふるってスイカを切ったが、中から流れ出てきたのは真っ赤な血であった。不審に思った王が調べさせるとスイカの中にあったのはまだ血を流し続けているスィディ・アブドゥッラフマーンの首だった。男は王の手でその場で斬首に処せられた。人々は首を持ち帰って廟を作り、以来アブド・アッラフマーンはスイカのスィディ・アブドゥッラフマーンと呼ばれて人々の尊敬を受けている。」

 

(赤堀雅幸「聖者が砂漠にやってくる」『オリエント』第38巻2号、1996年)

 「ある時、海岸に木箱に入った男と少年の遺体が流れ着いた。二人は粗末な黒衣をまとっており、ネズミにでも食われたのか顔はボロボロで男は耳がなくなっていた。名もわからず、どこから来たのかもわからなかったが、人々は彼ら親子を埋葬して廟を作り、男をアルアゥワームと名付けた。

その後、1963年に道を通すために廟の場所を移すことになった。二人の遺骸を掘り出して木箱に入れ、男たちがかついで新しい廟の場所に運んだ。それから後かたづけのために元の場所に帰ったが、どうしたことか木箱はそこに戻っていた。驚いた男たちはそれでも思い直して木箱をもう一度運んだ。すると今度は戻る途中の男たちの頭上を箱が飛び越して、そのまま空中を元の場所へと帰っていった。主の御力にすっかり恐れ入った男たちは廟を移すのをあきらめ、今の場所に新しい大きなモスクを建てることにした。」

 

資料3:(省略)

 

(赤堀雅幸「聖者が砂漠にやってくる―知識と恩寵と聖者の外来性について」『オリエント』第38巻2号、1996年)

 

資料4:(省略)

 

(赤堀雅幸「アスル−エジプト地中海沿岸のベドウィンに見る祖先と自己との関係の表現−」『民族学研究』第58巻4号、1994年)

 

資料5:(省略)

 

(赤堀雅幸「つながれた人びと―エジプト西部砂漠ベドウィンのムラービティーン概念をめぐって―」『現文研』(専修大学現代文化研究会)第72号、1996年)

 

資料6:

 

(Ataywa,Rihla al-alf am ma qaba'il awlad ali, Marsa matruh: Muhafaza marsa matruh, 1982)

「ムラービティーンの諸部族はアウラード・アリーの諸部族の間に入り交じり、それぞれ特定の部族に対して兄弟として結び付いてきたirtabata。」

 

 「ムラービティーンは戦争や襲撃の際に、サアーディーの諸部族に続く戦線の第二陣を守る人々と考えられていた。かれらはそこで配置につきyuraabitu警護の任務を帯びてその場所を確保し、家畜の群れを守ったり土地や村を管理したりして、他の部族が襲撃してきて必要となったときに兄弟たるアウラード・アリーの諸部族を助けて働いた。」

 

 「(サンマールースのファーイズ・アブド=アルファディール・カースィム)先生はムラービトという語を次のように解釈している。(北アフリカのイスラーム化の時代に)イスラームの軍勢がどこかの場所を征服すると、そこには部隊の一部が駐留しyuraabitその地を管理し諸事がうまく運ぶように計らった。イスラームの教えはその駐屯地から広まっていき、ムラービティーンの諸部族の名はここから生じてきた。」(カッコ内発表者)

 

 「ムラービティーンの諸部族は他の部族から襲撃され、略奪され、財産を奪われ、侮辱されるのから守ってもらうために、サアーディーの諸部族の庇護himaya下に入ったのだった。」

 

 「かれら(ムラービティーン)はその性質として戦争や襲撃を好まず、敬虔に神に仕えることに熱心で、その信仰の深さやクルアーンをそらんじていること、詩を詠むこと、争いごとの仲裁、決して暴力に訴えないことで知られている。」(カッコ内発表者)

 

 「サナークラのシャイフ・スィムスィム・アルカースィフは次のように言っている。ムラービトという語は、襲撃、もしくは神の道にしたがった聖戦を意味するリバートから派生した語である。ムラービティーンにはアルアフダルal-akhdar(緑)とアルアブヤドal-abyad(白)の二つの種類がある。

 ムラービティーン・アルフドゥル(緑)はその敬虔さで知られ、(神に与えられた)しるしを備えている。ジャッラーラ、アブー・サイーダ、ハッブーン、クラル、マサーミール、ファワーヒル、シャラサート、ハワーラ、ドゥミーナート、ムヌファの諸部族がこれである。」(カッコ内発表者)

 

資料7:

 

(大塚和夫『異文化としてのイスラーム―社会人類学的視点から』東京:同文舘、1989年)

「民衆にとって、イスラームとは彼らが解読不可能な文字に記された抽象的な観念ではなく、いま、目の前にいる特定人物の肉声を通して語られるきわめて具体的な教えなのである。その結果、一部の者が指導者に個人的な崇敬の念を抱き、それが『崇拝』に近い感情になったとしてもさほど不思議ではない。指導者との密接な個人的絆は、彼の生前はもとより、死後も残り、彼に対するこの熱烈な敬愛の念が、これまで民衆イスラーム現象の典型例と言われてきた聖者をめぐる民間信仰につながったと考えても、あながち的はずれではないであろう。」

 

参照文献

 

赤堀雅幸「アスル−エジプト地中海沿岸のベドウィンに見る祖先と自己との関係の表現−」『民族学研究』第58巻4号、1994年。

赤堀雅幸「ベドウィンのイスラーム―エジプト」片倉もとこ編『イスラーム教徒の社会と生活』東京:栄光教育文化研究所、1994年。

赤堀雅幸「聖者が砂漠にやってくる―知識と恩寵と聖者の外来性について」『オリエント』第38巻2号、1996年。

赤堀雅幸「つながれた人びと―エジプト西部砂漠ベドウィンのムラービティーン概念をめぐって―」『現文研』(専修大学現代文化研究会)第72号、1996年。

Ataywa, Kh.F., Rihla al-alf am ma qaba'il awlad ali, Marsa matruh: Muhafaza marsa matruh, 1982.

Evans-Pritchard, E. E., The Sanusi of Cyrenaica, Oxford: Clarendon Press, 1949.

   大塚和夫『異文化としてのイスラーム―社会人類学的視点から』東京:同文舘、1989年。

 

参考までに

 

赤堀雅幸「伝統を問い直す者たち−現代エジプトのベドウィンにみるイスラーム回帰への視線」『イスラム世界』第43号、1994年。

Abu-Lughod, L., Veiled Sentiments: Honor and Poetry in a Bedouin Society, Berkeley: University of California Press, 1986. (抄訳 : L・アブ=ルゴド「ヴェールにおおわれた感情」竹村和子訳『現代思想』第17巻第14号、112-133頁、1989年。)

Abu-Lughod, L., Writing Women's Worlds: Bedouin Stories, Berkeley: University of California Press, 1993.

Peters, E., The Bedouin in Cyrenaica: Studies in personal and corporata power, ed. by J. Goody and E. Marx, Cambridge: Cambridge University Press, 1990.

Behnke Jr., R., The Herders of Cyrenaica, Urbana: University of Illinois Press, 1980.