第2班合同研究会

 1998年1月24日、愛知学泉大学にて、研究会「東南アジアイスラーム研究の現在」が開催された。はじめに小林寧子先生(愛知学泉大学)から趣旨説明がなされ、その後、小林寧子先生、川島緑先生から、それぞれインドネシア、フィリピンのイスラーム研究の動向について語られた。最後に、村井吉敬先生(上智大学)、清水学先生(宇都宮大学)からのコメントが寄せられた。

[趣旨説明]小林寧子(愛知学泉大学)
 東南アジアのイスラーム(に関わる)問題を論ずることは難しい。その理由として、第一に、東南アジアのムスリムの主体性と、広いイスラーム世界との連動性の問題がある。第二に、(日本人の)イスラームに関する先入観念がある。日本は、南洋進出の過程で、イスラームと接触したが、戦後、その経験をイスラーム研究に生かすことができないできた。このような状況のなかで、東南アジアのイスラーム研究について再検討する必要があるだろう。

「インドネシアイスラーム研究の動向」小林寧子(愛知学泉大学)
 インドネシアの戦後イスラーム研究は、大きく分けて3つに時期区分される。

  1. 戦後〜1970年代前半
    この時期は、一言で言えば、インドネシア社会におけるイスラームの占める大きさを認識できない時期であった。中心的なものでは、1960年に出されたGeertzによる研究がある。
  2. 1970年代半ば〜1980年代
    この時代は、とくにギアツ研究に対する反論が出た時代である。インドネシアからはHarsja W. Bachtiar、オランダからはSteenbrinkによる反論が出された。これらをまとめたものとして、日本の中村光男の研究がある。
  3. 1990年代
    現在は、オランダとインドネシアで、ウラマー研究、イスラームの内在的理解をめざす研究が隆盛である。とくにインドネシアで最大のイスラーム勢力ナフダトゥール・ウラマーの研究が隆盛している。それ以外にも、タレカット(イスラーム神秘主義教団)研究もなされている。
 日本の東南アジア・イスラーム研究の問題点としては、研究者の層の薄さ、戦前の研究や戦争中の体験の断絶などがある。また今後の課題として、ジャワ学との接近、イスラームの社会制度・システムの研究、ジェンダー研究などがあげられた。


「東南アジアのイスラーム研究の現在:フィリピン」川島緑(上智大学)
 川島緑先生は、フィリピンを事例として、東南アジアのイスラーム研究の今日的状況をお話しくださった。フィリピンのイスラム研究の流れ、日本における同研究を、それぞれ時代区分して説明された後、「イスラームがフィリピンのマイノリティをして扱われ研究されてきた」とその全体の特徴をまとめらた。さらに今後の課題として、1)アメリカによって作られた「英語」の世界での研究の枠を越えた、「現地語」や「アラビア語」の世界での研究成果がひめる可能性や重要性、2)歴史研究の重要性の見直し、3)一国中心的視点からの解放(東南アジアの一部としてのフィリピンという視点/イスラーム世界の一部としてのフィリピンという視点)の重要性 を指摘されたことが興味深く思われる。

  1. 研究史の流れ
    19世紀以前の海賊戦争史観に遡るイスラーム研究が、米国統治期を経て、1946〜60年代、そして分離独立問題への関心が高まる70年代以降、いかに発展してきたかについて。
  2. 日本における(フィリピンのイスラームについての)研究
  3. 研究の特徴
    フィリピンの「マイノリティ」としての研究(フィリピン国家の枠を前提に、一地方史としてのイスラーム研究が行われてきた点)
    ミンダナオ紛争の原因論におけるイスラーム扱い方(社会経済的アプローチとイスラーム性重視アプローチ)
    ウラマーや思想そのものの研究、またスーフィズムのまとまった研究は少なかったという点
  4. 今後の課題(上記3点)
 最後にコメントが寄せられた。村井吉敬先生は、1)東南アジアでは、イスラームがどのように解釈されているのか、2)イスラームへの先入観に対して、日本の研究者はどのようなことをなせるか、3)たとえばインドネシアにおいて、イスラームと民主化の関わりはどのようなものか、という3点について述べられた。清水学先生は、1)東南アジアにおけるイスラム研究の意義(イスラム教、ムスリムを研究対象にしなければならない必要契機は何であろうか)という点、2)東南アジアの経済危機とイスラム(イスラム教の社会的相互扶助性のもつ意義/社会運動への可能性)という点、3)イスラム復興運動の再来、という3点について指摘された。