イスラームの思想と政治
≪特別寄稿≫

末近 浩太



 20世紀のイスラーム復興の理論的な基礎を築いた思想家、ムハンマド・ラシード・リダー (1865-1935) は、現在のレバノン領であるカラムーンで生まれた。

 カラムーンはトリポリから南へ約6kmにある小さな漁村である。筆者は1999年の8月、そこを訪れた。 トリポリからのセルビスが停まったのは、カラムーンの小さなモスクの前であった。道を挟んだ反対側のマクハに、コーヒーを啜っている数人のレバノン人が手招きしているのが見えたので、そっちへ向ってみる。彼らのもてなしは大変丁重なものであったが、わざわざ日本からその小さな漁村を訪ねてきた理由に質問が集中した。

「ムハンマド・ラシード・リダーの生誕地が見たかった」
と筆者が告げると、マクハの客の数人が
「シャイフの家に家族が今も住んでいるぞ。案内するよ。」
と言う。
そんなことは夢にも思わなかったので、喜んでその好意に甘えることにした。

 リダーの家は、モスクとマクハからほんの数分のところであった。トリポリへ続く街道から海岸に向うこと約100m、その家は、青い地中海に面したところにポツンと一軒建っていた。日干し煉瓦造りの小さな建物で、ドアや窓の美しい装飾がその歴史を物語っていた。偉大な思想家の家にしては小さくそして質素であるのが印象的であった。

 中にはリダーの甥と姪にあたる人物、そして近所の子供達数人が談笑している。ここを訪れる日本人は初めてとのことで、ここでも筆者は温かく迎えられた。(彼らは、著名なリダー研究者の日本人を一人知っていると言い、小杉泰教授の名前を出した・・・)

 甥のアリー氏は、筆者がリダーの思想に関心があることを告げると、書斎にあるリダーの著作の数々や欧米人研究者による研究書を見せてくれた。その中には貴重ものいくつかあるであろうが、開けっぱなしの窓から絶えず吹き込む潮風でボロボロになっているのが非常に残念である。

 アリー氏は、思想的なことよりも、リダーと過ごした少年時代の思いでを語ってくれた。
「シャイフは、過激なイスラーム(ムスリム)思想家と見なされることがあるが、実際は非常にカリスマティックな人で、彼の説教にはムスリムだけでなく地元のクリスチャン等も駆けつけたものだ。」

 確かにリダーの功績は、イスラーム復興主義-特に汎イスラーム主義-の文脈で語られることが多いが、彼はアラブ民族主義者やおそらく大シリア主義者としての側面も備えていた。

 姪にあたる人物は、何らかの持病のため寝たきりでベットから出る様子を見せない。しかし、流暢な英語(前述のアリー氏と同様)とはっきりした口調、そして何よりもその表情を見たところ、精神的にはまだまだ全然元気である。部屋にテレビ等は無いものの、定期的に新聞や雑誌に目を通していると言う。やはり、インテリの家系なのであろうか。

 興味深いことに、部屋の壁のあちこちにナセルの写真が掛けてある。アラブ民族主義とイスラーム復興との関係について尋ねてみると、
「イスラームとアラブ性はもともと矛盾するものではないのよ」
と言う。
 冷たいレモネードをごちそうになった後(これが生のレモンを使っていて、実においしい)、再開を約束し別れを告げた。そして、例の小さなモスクの前で、リダーが毎日足を運んだというモスクの前で、セルビスを拾いカラムーンの町をあとにした。

 ごく短い滞在ではあったが、「実在の人物」としてのリダー、つまりイスラーム思想家としてだけでなく、列強の支配からの解放を夢見た一人のアラブ人、そして一人のシリア人としてのリダーを感じることができた。