日時:1999年12月7日 午後6時から7時半

場所:東京大学文学部アネックス大会議室

報告者:バフティヤール・ババジャノフ(ウズベキスタン科学アカデミー 東洋学研究所研究員)

テーマ:"The Great Schism" among the Moslems of Ferghana Valley

 今回のセミナーでは、研究班6の招請で来日中のバフティヤール氏にフェルガナ地方におけるイスラーム復興の潮流について講演をお願いした。 氏は、中央アジアの豊富な写本・碑文資料をもとにイスラーム神秘主義などの研究を精力的に進めている気鋭の研究者であり、最近は現代のイスラーム復興についても独自の研究を展開している。

 今回は、氏の故郷でもあるフェルガナ地方におけるフィールドワークの成果も取り入れ ながら、今日「ワッハービー」と称される復興主義者たちの思想と活動の展開を1960年代末から現代までのスパンで明快に論じられた。その要旨はほぼ次のとおりである。

 氏によれば、「ワッハービー」の存在が明確となるのは、70年代のことであり、 それは無神論を掲げたソビエト体制下にあってハナフィー派の教義の温存をはかった権威あるウラマー、Muhammadjan Hindustani(-1989)の教説に異をとなえ、ムスリムの慣行の革新をめざしたRahmatulla 'Alloma(-1981)や 'Abduvali-koriなど、彼の弟子たちに始まる。彼らは歴史を通してイスラーム世界の各地に現れた革新者Mujaddidiであり、そのように自称したが、師の Hindustani は、彼らの言説の特徴をとらえて、これに「ワッハービー」の名を 与えた。これが後にソビエト当局や現代の政権の側にもイスラーム復興主義者の別名(否定や非難の意味を込めた別名)として広く用いられることになったのである。

 とりわけペレストロイカ以降、革新者たちの主張が広まるにつれて、伝統的なハナフィー派共同体の分裂を憂慮したHindustaniは、 ワッハービーに対する説得や批判を試みたが、これは成功に至らず、中央 アジア・カザフスタン・ムスリム宗務局のムフティー、Muhammmad Sadik Muhammad Yusufの調停努力も失敗に終わった(1991年11月)。

 その後 中央アジアの各地に生まれた復興主義組織の多くは、純粋なイスラームを希求したこの革新者たちの系譜に属するものであり、その主張を政治的な闘争よりは、むしろウンマの成員への教化によって実現しようとしている。 しかし、その一部は次第に強まる国家の統制や体制順応のハナフィー派の圧力に対抗して その活動を先鋭化、過激化させている。

 ババジャノフ氏の方法は、現地資料に基づきながら、復興主義をその内側から研究しようとするものであり、これまでの「並行するイスラーム」論から脱却して現代の復興主義をその教義とともに歴史的な系譜の中に位置づけようとする新しい研究といえる。そのさらなる進展を期待するとともに、われわれの認識の再検討を行いたいと思う。

文責 小松久男

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