「中央アジアにおける国際関係とイスラーム」
シンポジウム

報告:宇山 智彦(北海道大学スラブ研究センター)

日時:2000年2月5日(土)13:30〜18:00
場所:東京大学文学部アネックス2階大会議室

 このシンポジウムは、「イスラーム地域研究」1班bグループ(国際関係とイスラー ム)研究会、同1班第10回中央アジア研究セミナー、中央アジア研究会第49回例会を兼ねて行われた。

  研究者・学生はもちろん、外務省・JICA関係者など合わせて40名近 くが参加し、会場の東大文学部アネックス大会議室が満杯になる盛況であった。報告内容は以下の通りである。

1.宇山智彦(北海道大学)
「ウズベク・イスラーム運動の源流と過激化:その内政的・国際的背景」

  この報告は、通俗的にフェルガナ盆地の「ワッハーブ派」と呼ばれる運動の中核が、1970年代後半にイスラームを学ぶ若者たちの間でワッハーブ派やムスリム同胞団の思想的影響を受けながらも自生的に起きた、非暴力的なイスラーム復興運動であること、それがペレストロイカ期以降力を伸ばしたが1995年頃からカリモフ政権に厳しく弾圧されていることを示した。

他方ソ連崩壊前夜に起きた暴力的なイスラーム運動はマージナルな存在だったが、非暴力的な運動の弾圧に反発する若者たちを集めて勢力を拡大し、1999年8〜10月の日本人等人質事件を起こすに至った。

またカリモフ政権のイスラーム運動弾圧が、テロ対策としてではなくあらゆる反対派の弾圧の一環として始まったこと、「イスラーム原理主義」問題が諸隣国に揺さぶりをかけるカード としても使われていることを指摘した。

2.ナイル・ムハリャモフ(Nail Mukhariamov)(カザン熱エネルギー大)
"Islam v Respublike Tatarstan: nekotorye sravnitel'nye nabliudeniia"(「タ タルスタン共和国におけるイスラム:若干の比較観察」)


 報告者はタタルスタンで活躍中の政治学者。政治家がロシア正教に正統性を求める ロシア中央とも、イスラームが政治化した中央アジア南部や北カフカスとも異なり、 タタルスタンではイスラームの役割は民族文化の一部としてのものにとどまり、政治面で自立的な力を発揮する可能性は低いとする。

ロシア各地でムスリム宗務局(ムフ ティー庁)が分立している状態や、タタルスタン指導部が「ワッハーブ主義」に対置 してジャディーディズムの意義を強調したり、タタルスタンのイスラムは「ユーロイ スラム」であるとの言説を展開したりしていることも紹介した。

通訳を務めた松里公孝氏(北大。ロシア地域政治専攻)は、ロシアのイスラームとムスリムの研究の重要性を力説した。

3.坂井弘紀(千葉大学・非)
「英雄叙事詩と中央アジアの現在」

 
 この報告は、1999年10〜11月のウズベキスタン(含カラカルパクスタン)とカザフ スタンへの出張をもとにしたものである。英雄叙事詩の評価や刊行のあり方は、現代 (ソ連時代・ソ連崩壊後)の政治社会状況に大きく左右されてきた。1999年秋にウズベキスタンで「アルパミシュ」千年記念祭が開かれたが、成立から「千年」経ったという計算は恣意的だし、テュルク諸民族に広く流布している叙事詩を、「ウズベク民族叙事詩」と呼ぶのも問題である。

英雄叙事詩が国づくりのシンボルとして利用されている反面、叙事詩の「語り」の伝統は衰退している(この点などについて、現地研究者へのインタビューの結果が紹介された)。また、「叙事詩」や「語り手」を意味するタームが各国・民族ごとに異なっていることも、相互理解の障害になっている。

4.岩崎一郎(一橋大学・院)
「トルクメニスタンの新産業組織体制と企業改革:制度論的アプローチ」

  報告者は既に、ウズベキスタンとクルグズスタンの経済改革や政府・企業間関係について制度論的な分析を行ってきたが、今回の報告は、トルクメニスタンについて類似の試みを行うものである。

ニヤゾフ大統領は漸進主義的移行戦略を掲げて一時注目を集めたが、実際には同国の経済状況は非常に悪い。その原因としては天然ガス輸出のトラブルや天候不順が挙げられるが、企業活動にも問題がある。1990年代初めに制定された企業関連諸法は企業活動の自由をそれなりに認めていたが、その後の改正で後退した。

ソ連時代の部門別経済省等は独立会計方式に移行して「予算外省」とな り、国内産業の大部分を管轄し続けている。政府は企業活動を厳格に規制し、企業は国家の庇護下で市場競争を回避している。

このように中央集権的な資金配分制と、ある程度自由化された商品・労働市場が結合した「緩やかに分権化した社会主義」が、 ダイナミックな再生産活動を行うことは困難である。

5.輪島実樹(ロシア東欧貿易会)
「カスピ海周辺諸国の石油・ガス輸送をめぐる国際関係」


 カスピ海資源開発における最大の問題は、石油・ガスをどのように運ぶかであっ た。カスピ海諸国は、パイプラインがない、または経由地のロシアに輸送を制限され るなどの問題を抱えていたため、非ロシア経由で外洋か消費地に直接アクセスできる大口径パイプラインが理想とされた。しかし現地・経由地の政情不安や国際的な利害 対立のため膠着が続いた。

1997年〜1998年前半には「カスピ海ブーム」で大規模プロジェクトが進展し、輸送問題にはある程度の解決がもたらされた。その後1999年初めまで続いた油価の低迷で「ブーム」は去り、開発企業の関心は、これ以上パイプラインを作ってもそれに見合う生産をいつになったら伸ばせるかに移った。

しかしアメリカの積極的参入などで、政治レベルでは費用や時間を度外視したパイプライン選定の駆け引きが続き、政治と開発事業の乖離が生じている。最近は油価の上昇で開発側の歩み寄りが見られるが、まだ事態は流動的である。

シンポジウムの総括:
 中央アジア研究、特に現状分析はまだ日本での研究の歴史が浅く、無理に話題を一つに収斂させて議論をするよりも、多分野にわたる各研究者の得意な話を聞いて討論する方が生産的だと思われる。そのため報告のテーマは必ずしも「国際関係とイスラーム」に絞らず、総括討論も行わなかったが、各報告については十分に専門的な議論ができたと思う。

単なる表面的な現状報告ではなく、イスラーム運動やそれをめぐる言説の構造、文化的シンボルの政治的利用、経済改革や資源開発と内政・国際関係の関連などを深く分析した研究の成果が聞けたことは心強い。

それぞれの報告には様々な面で重なる問題関心も感じられたので、今後は、多様な問題を扱いながらも相互に連携した形での研究を進められればと思う。

もともと研究分担者・協力者の研究成果を持ち合う比較的小規模な研究会として企画したものが、だんだん話が大きくなってシンポジウムになったので、参加者には手狭な会場での長丁場を強いることになってしまった。しかしながら多くの人が最後まで熱心に報告を聞き、討論に参加してくれた。一時の「ブーム」が過ぎ、人質事件な どで「中央アジアは怖い」という偏見が広がってしまった今でも、中央アジアに対する関心が着実に高まっていることを実感した。

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