第8回中央アジア研究セミナー報告

広瀬陽子
(東京大学大学院 法学政治学研究科 博士課程)



 先に行われた国際コロキアムにおいては、比較的広いテーマと時代が設定されていることもあり、日本・旧ソ連のみならず、諸外国からの多彩な研究者が一堂に会した。どの発表も、新しい議論や明晰な分析などを提起し、とても刺激的であった。特に、旧ソ連の研究者は、日頃我々がアクセスしにくい現地の資料を使って、旧ソ連におけるイスラム研究に新鮮な息吹を吹き込んでくれたと思う。

 現代の政治を研究している私にとっては、特に、後半の発表が興味深かった。ソ連時代の弾圧の中でも生き残ったスーフィーなど社会生活におけるイスラムの根強い生命力、 この地域特有のクラン構造とイスラムの関係、ペレストロイカ期以降のイスラム熱の高まりと政治への影響などを現実の「場」から問いかけられたことで、政治、経済、社会、文化の要素のみならず、イスラム教の要素をそれらに連関させて実証分析を行うことが、この地の地域研究に不可欠であることを改めて痛感した。

 余談ではあるが、コロキアムは英語とロシア語で進められた。参加者全員が両言語を理解できるわけではないので、後半からは、英露間の通訳がなされるようになり、理解がスムーズになった。国際会議は英語でなされる場合が多く、日本人からすれば、なぜ旧ソ連の研究者は重要な研究言語であるはずの英語で研究活動をしないのかという疑問も出るだろう。

 しかし、我々にとっての英語が、彼らにとってはロシア語にあたるということを忘れてはならない。旧ソ連の非ロシア人は教育を母語で受けるか、ロシア語で受けるかを選択することができ た。しかし、エリートとなるためにはロシア語の選択はまず不可避であった。そして、大学でもロシア語で論文を書き、研究していくというのが筋であった。また、学術的な国際交流もかなり制限されていたはずであり、ロシア語さえできれば、研究生活における不自由はなかったはずである。

 とはいえ、ソ連が崩壊して早8年。新興独立共和国は自らの母語を公用語と位置付けるようになった。ひょっとして、既に言語状況も大いに様変わりして、母語に次いで英語が主流になっているのかもしれない。このような研究会の様相も次第に変わっていくのだろうか、と感じながら、旧ソ連の言語政策に思いを馳せた。


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