イスラーム地域研究第1班
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第1班Cの今年度第2回の研究会が、京都文教大学において開催され、上記2名が発表した。 塙氏は、トルコを中心に、主要イスラム国における法典編纂を歴史的に概観した。 トルコにおける法典編纂は、シャーリアの影響という観点からは特殊な経過をたどったということができる。その史的発展において、まず注目されるのは、1869年から76年にかけて編纂されたメジェレ(=オスマン民法典)である。メジェレはイスラーム史における最初の公的編纂物であり、物権法の一部と取引法に関する手続き―特に財産法と若干の一般的法原則―を規定していた。しかし家族および相続については触れるところがなかった。 この点に踏み込んだのが1917年のオスマン家族法である。この法律は、外国人特恵条約を廃棄するという目的を含意しており、人種ならびに宗教を問うことなく、家族関係を一元化された裁判制度に委ねるものであった。 共和国建設後のトルコが新たに民法典のモデルとしたのが、スイス民法(1907年)だった。しかし性急な移行に、司法部門は適切に対応することはできなかったし、現代にまで続く実態との乖離をも生み出すことになった。 湯浅氏は、1967年の最初のヒンドゥークシュ行から報告を開始した。日本の民法学を講じていた研究者が、パキスタン・アフガニスタンと接しいかに強烈な印象を得たか、そして厳しい山地の生活を見聞するにおよんで、自然に則した固有の秩序への関心を高めていったかが披瀝された。 そのうえで、家族法の近代化の嚆矢と目されているパキスタンのムスリム家族法(1961年)、天啓の法たるイスラーム法、そして生活倫理ともいうべき、部族の慣習の間の差異、そして三者の間の緊張関係へと注目をうながした。 塙・湯浅両氏の発表は、各国の具体的な資料に基づいて行われた。ムスリム共同体の核を構成するのが家族であり、家族法がいかに重要であるかを改めて認識するために有益な機会となった。またその一方で、法の制定と実際の適用(あるいは不適用)の間に生じているであろう問題について、今後どのような形で取り組むべきかという課題が明らかとなった。 (子島 進) |
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