1班a研究会


「ジャアファリ師のイスラーム的人権思想」

「トルコにおけるナクシュバンディー教団」

日時 2000年2月19日(土)
場所 東京大学文学部アネックス 小会議室

発表1
「アヤトッラー・ムハンマド・タギー・ジャアファリ師のイスラーム的人権思想」
中西久枝(名古屋大学大学院)


  ジャアファリ師(1924〜1998)は、現代イランを代表するイスラーム思想家であり、神学、哲学、法学の分野で多くのすぐれた業績を残した。同師の葬儀が国葬であったこと、また1999年に1周年追悼記念国際会議が開催されたことからも、その知的影響力の大きさがうかがわれる(本年5月には、タブリーズ大学で追悼国際会議が行われる予定ともなっている)。

  今回、1班における「原典研究」の一環として、中西久枝氏がジャアファリ師の晩年の著作である「イスラーム的観点と西洋的観点からの人権」(1995年)を紹介した。
(Huquq-e Bashar az Didgah-ye Islam va Gharb Tehran: Daftar-e Khedmat-e Huuquq-e Bin-al Milleli-ye Jomhuri-ye Islami-ye Iran, 1373(1995) 516pp.)

  中西氏は、まずジャアファリ師の著作全体における本書の位置付けを確認した。同師の著作には、ジェラールディーン・ムハンマド・モーラーヴィーのマスナヴィー、あるいはアリーの言行録「ナフジュル・バラーガ」に関する、それぞれ大部の注釈書が含まれている。彼はまた、バートランド・ラッセルと書簡を通じてディベートを行うなど、哲学思想におけるイスラームと西洋の比較研究でもすぐれた業績を残している。

  「イスラーム的観点と西洋的観点からの人権」は、文字通り人権観念の比較研究である。具体的には、世界人権宣言(1948年)と「イスラーム的人権宣言」(1988年)の比較であり、主としてクルアーンやナフジュル・バラーガを出典として、議論を展開している。
 本書は、しかしながら、単純に護教論にとどまる著作ではないようである。人権に関する2つの見解を、互いに批判しあうのではなく、その共通点と相違点を客観的に捉えることで、「人間とは何か、どうあるべきか」という基本的命題への考察を深めようとする姿勢を看取することができる。

  実際、同師の主張(期待)は、「世界人権宣言」の否定にあるのではなく、イスラーム的観点を付加することによって、同宣言をより高次の段階へ発展させることにある。その要となるのは、イスラーム的な人間観である。すなわち、人間とは「本来、神から尊厳を与えられた存在であり、気高い価値を志向し、完全性を追求する能力をもつもの」とするところから出発する点に、その特徴を見出すことができる。

  中西氏は、現代イランにおける市民社会論、ならびに民主化とイスラームに関する議論の高まりという文脈に照らし合わせながら、本書の検討を行った。現代の政治状況と交錯させる形での原典研究はたいへん意義深く、示唆に富んでいた。1班aでは、引き続き現代思想家の原典紹介を推し進めていくということなので、今後の活動にも期待したい。

発表2
「トルコにおけるナクシュバンディー教団―とくにイスケンデルパシャ・デルギャーフについて」
粕谷元(日本大学)

  トルコでは、神秘主義教団が、近年その社会経済的役割を著しく高めつつある。このような複合経営型タリーカの代表例として、ナクシュバンディー教団を粕谷氏は取り上げた。
  同教団の重要性については周知のとおりである。トルコ人のイスラーム・アイデンティティ形成に大きな役割を果たし、また共和国時代以降においては、重要なイスラーム潮流―福祉党、ヌルジュ、スレイマンジュ―の母体ともなってきた。

  イスケンデルパシャ・デルギャーフとは、イスタンブールのイスケンデルパシャ地区にある同教団のデルギャーフ、すなわち修道場のことである。都市の高学歴層に支えられた、アカデミックでテクノロジカルなサークル、それがこの修道場が近年獲得した特徴であり、そのスローガンとするところも「パンとマントとマツダ(日本車)」である。その活動は個人の内面の修養にとどまらず広範な分野におよんでおり、企業経営(従業員1500人以上)、労働組合連合の形成、病院や文化団体の運営、さらには電子・活字メディアまでをも含んでいる。

  粕谷氏によれば、トルコのスーフィー教団の多くが、今や市民社会組織として、政府に公然と認知されるにいたっている。そして自らの社会・経済的ネットワークを駆使することによって、地域コミュニティ・レベルでも相互扶助ネットワークの構築を図っている。かつて「踏みつぶすことのできない蛇」として当局から嫌悪され、弾圧を受けたスーフィー教団が、市場やNGO活動の重視(=国家の役割の相対的減少)という世界的傾向のなかで、再生を果たしている点が興味深い。

  しかしその一方で、ミュルシド(導師)とミュリード(弟子)の関係も緩やかなものとならざるをえず、ミュルシドが単なるアドバイザー化しつつある。両者のパーソナルで緊密な関係を基盤とするスーフィー教団が、今後その形態をいかなる方向へ展開させるのか、関心を喚起させる発表だった。

報告:子島 進(国立民族学博物館・外来研究員)