『月華』に見る中国イスラーム復興運動
−「近東からの衝撃」と中国国民統合


日時:2000年1月22日
会場:東京大学文学部アネックス


発表者:松本ますみ
(敬和学園大学人文学部)

報告:松本 弘
(日本国際問題研究所)






  1-aグループ主催の標記研究会が開催された。テーマが中国近現代史におけるイスラーム復興運動ということから、中東、中央アジア、中国と各方面の研究者が参加し、2000年最初の新プロ研究会にふさわしい興味深く活発な議論ができたと思う。

  私事にわたり恐縮だが、筆者は15年前、国立国会図書館で近代エジプトのイスラーム改革思想家・運動家ムハンマド・アブドゥフの著作2冊の中国語訳を見つけたことがあった。いずれも、1930年代に上海で出版されたもので、訳者は馬堅という人であったが、その時は翻訳の経緯や背景に何ら知識を持っていなかった。それを、この研究会で知ることとなった。

 発表者の専門は、中国の国民統合であるが、研究の過程で中国のムスリムがその国民統合に果たした役割の重要性に注目するようになったという。今回の発表は、1900〜30年代に展開された、いわゆる「中国イスラーム新文化運動」のなかで最も大きな影響力を持った成達師範学校と、そこが発行した雑誌『月華 Yuehua』(1929〜48年)についてである。発表の目的は、この『月華』に及ぼした近代エジプトの雑誌『マナール al-Manar』の影響であった。ここでは発表後の議論も含めて、研究会の概容を報告する。

 中国の伝統的イスラーム(老教)は、「真主(アッラー)に忠、さらに君父に忠なるは、まさに正道をなす」といった、儒教的要素を含む二元忠誠論が一般的であったが、清末の回民起義(神秘主義教団=新教の叛乱)を挟んで、中国イスラーム新文化運動(新新教)が生じてくる。この運動は、上記叛乱から受けた決定的なダメージ(「叛」の烙印、清側の虐殺によるムスリム人口の減少など)からの回復を意図しつつ、留学先である日本やエジプト、メッカ巡礼などから、ナショナリズムなどの近代思想を受容し、イスラームの復興を目指したものであった。

 そのなかで、1925年に済南にて近代的アホン(教長=各モスクの指導者、最高位はイマーム)や知識人、郷紳により成達師範学校が設立される。設立の目的は近代教育とイスラーム教育の融合であり、近代的三長(教長、校長=教育者、会長=回民諸組織の指導者)の育成であった。雑誌『月華』は、日本出兵により成達師範学校が北平(のちの北京)に移った1929年10月に発行された。同時期よりアズハル大学への留学が開始され、計35名の留学生が派遣されている。冒頭に記した馬堅という人物は、そのなかの一人であり、ムハンマド・アブドゥフや当時のアズハル教授等の著作や論文を数多く翻訳して『月華』に寄稿するとともに、コーランの翻訳も行っている。

 『月華』の内容は、コーラン注釈やハディース解釈から、中国ムスリムの歴史・現状、種々の時事問題に関する評論、アラビア語書籍・評論の翻訳、世界各地のムスリムの現状や諸問題など多岐にわたり、発行部数は最盛期で4000部以上に達した。それらにおいては、『マナール』への言及もあるが、実質的な引用という点では当時のアズハル大学発行雑誌『イスラームの光 Nur al-Islam(のちの『アズハル誌 Majallat al-Azhar』)』の方に、より大きな影響を看取できる。しかし、『月華』の最大の特徴は、「愛国愛教」を終始一貫して主張したことにある。

 「愛国愛教」は、「愛国は信仰の一部 hub al-watan min al-iman」という(彼らが信じる)ハディースの一節を典拠として、国を愛することはイスラームを愛することと同じであり、ムスリムであることと中華民族であることは同時に成立し得るという思想である。これには、回教文化は中華文化の一部であるから、回教文化を発揚することは、中国を救い強化する道であるとの認識が、基盤となっている。成達師範学校は、1937年抗日戦争開始により桂林に移った後も、教育や『月華』発行の活動を続けたが、戦争激化に伴い次第にその活動は停滞して行く。しかし「愛国愛教」は、中国国民党にあっても、中国共産党にあっても、中国ムスリムの基本姿勢として生き続け、その国民形成に一定の役割を果たして、現在まで至っている。

  『月華』に与えた影響は、上述のように『マナール』よりも『イスラームの光』の方が大きいのであるが、直接の引用や言及はそうであっても、雑誌を発行してムスリムへの啓蒙・情報提供や何らかの主張をなそうとするスタイルそのものは、『マナール』そのものであり、この意味では『月華』が『マナール』をその範とするものであったと言えよう。また、老教の「二元忠誠論」も新新教の「愛国愛教」も、ともに二元論であることが注目される。無論、「愛国愛教」は民族主義をはじめとする多くの近代的要素を含んでいるが、宗教と国家・民族を並べて論じるところに、あらゆる外来の文化・文明を飲み込んでしまう「中華」というものの懐の深さが再認識された。


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