「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」研究会報告書

坂井弘紀


 去る11月23・24日に、科学研究費補助金「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」研究会が、民博地域研・北大スラブ研連携研究「スラブ・ユーラシアにおける国家とエスニシティ」および文部省新プログラム方式「イスラーム地域研究」1班bグループとの共催によって開催された。以下、本研究会における各報告について簡単に報告したい。

 11月23日は、中央ユーラシアを対象とした報告が行われた。まず、帯谷知可(国立民族学博物館地域企画交流センター)による「最近のウズベキスタンにおける国史記述をめぐって」が報告された(討論者:宇山智彦[北海道大学])。ウズベキスタンにおける、国家主体、国家に発する民族主義である「新しい民族主義」の表れのひとつが国史の編纂であり、そこにはウズベキスタン国民を統合するイデオロギーである「民族独立理念」が見出される。ウズベキスタンでは帝政ロシア・ソビエト時代を「植民地時代」として区分し、批判的な立場に立っているが、「民族独立理念」自体がソ連時代の手法を踏襲したもので、矛盾を内包していることが指摘された。またウズベキスタンでは、祝典コンサートや歌謡曲などによって、ウズベク民族のあるべき「伝統」が強調されていることも報告された。

 続いて、大石真一郎(神戸大学非常勤講師)により、「テュルク語定期刊行物における民族名称「ウイグル」の出現と定着」が報告された(討論者:新免康[中央大学])。本報告では現在のウイグル人の名称が1921年に他律的に命名されたとする見解にたいして、ロシアのテュルク語定期刊行物を資料に検討を加えた結果、1910年代には「ウイグル」の名称が出現していたことが指摘された。また、「ウイグル」という名称が定着していく過程において、新聞が大きな役割を果たしていたことも挙げられた。これにたいし、1930?40年代の東トルキスタン共和国では「ウイグル」よりも「テュルク」という呼称が核となっており、中華人民共和国以前に一元的な「ウイグル」が存在していたわけではないことに注意すべきとのコメントが得られた。

 野坂潤子(東京都立大学大学院博士課程)の「1910年から1911年のN.M.レインケ調査報告に見るカフカス諸民族」(討論者:北川誠一[東北大学])では、カフカスに様々なエスニック=グループの慣習法が存在したことが明らかにされ、その意義と役割、変化の過程を見ていく必要性が訴えられた。北カフカスは帝政ロシア支配に組み込まれることによって大きな変化を経験したが、それでも住民参加による慣習法裁判が開かれていたり、通常破棄院の下位に位置する控訴院が破棄院となることがあったりするなど、司法制度は独特であった。司法制度の変化にともなう秩序感の変化は、エスニックな自己規定の意識を変えることにもつながったと指摘された。

 この日最後の報告はゲルマン=キム(カザフ国立大学)の"Korean Diaspora in Kazakhstan: Past, Present and Future"である(討論者なし)。本報告では、朝鮮系の人々のディアスポラの歴史が概説され、とくにロシア極東からカザフスタンへの強制移住の歴史が説明された(のちにサハリンや北朝鮮から移住した者もいる)。そのあと、独立後もほとんど移住せずカザフスタンで暮らす彼らの現状について述べられ、多くが都市に居住することや高学歴者が多いこと、独立後は貿易関係に従事するものが多く経済活動は盛んであることなどの実例が挙げられた。また報告者が副会長を務める朝鮮人協会が目指す、言語・文化・慣習の復興に関わる諸問題にも言及された(彼らの朝鮮語は、ソウルやピョンヤンの標準語とは異なる)。質疑応答では彼らを巡るマスメディアの現状や南北朝鮮にたいする見解と問題点が討論された。

 翌24日は、篠原琢(東京外国語大学)の報告「歴史主義の時代におけるチェコ「国民」の自己表象」で幕を上げた(討論者は次の中澤報告と共通で、長與進[早稲田大学])。「チェコ国民」という主体を記号として構築しようとした19世紀前半の「国民再生」を経て、1860年代には多くの「国民祭典」が催された。本報告では、こうした一連の動きを取り上げながら「チェコ人」としての意識や理解はどこにあるかといった命題を掲げ、形式や記号体系の形成の過程について論じられた。篠原報告に引き続き、中澤達哉(早稲田大学大学院博士課程)が「ネイション概念の形成と歴史的展開?18世紀のスロヴァキアを事例とする「社団国家」と「ネイション」?」と題する報告を行った。中近世のハンガリー王国の国制概念や前後期絶対主義期におけるネイション概念、フランス革命以後のネイション概念を踏まえた上で、ネイションは議会に参与しながら王権を制限する社団であったが、その規模と権限が拡大・強化されるとともに、「種族」概念を混ぜ合わせながら新たなネイション概念に変質したことが指摘された。

 午後のセッションは、東欧で展開された「民族的体育運動」ソコルを軸とする報告が行われた。福田宏(北大法学部)の「体操運動におけるチェコ人社会とドイツ人社会の「分離」?「他者」を「他者」と認識するとき?」(討論者は次の山崎報告と共通で、篠原琢[東京外国語大学]および月村太郎[神戸大学])、では、19世紀後半のチェコ人社会とドイツ人社会の「分離」を双方の体操運動の特徴を挙げながら論じられた。また、フュグネルとティルシュという二人の人物をとりあげ具体的な事例を示した。ビデオ映像が流され、視覚的にも興味を引く報告となった。続いて、山崎信一(東京大学大学院博士課程)が「ユーゴスラビア・ソコルの「ユーゴスラビア主義」」と題する報告を行った。ユーゴスラビアのソコルが1929年以降の国王独裁期、「ユーゴスラビア国民」創出の政策にのっとり、「ユーゴスラビア主義」の宣伝を担っていたことが指摘され、またその過程が詳細に説明された。

 本研究会は、総合討論をもって締め括られた。今回のいくつかの報告が提起した、ネイション形成をジェンダー的視点から見ることの必要性などについて、様々な建設的意見が出され討議された。またとりわけ、近年の「国史の編纂」をめぐり、国家権力と歴史学との関係、歴史のもつ政治性が指摘されるとともに、研究者は現在進行中である「国史」の書き換えを前にどのような態度を取るべきかが論議された。これらの問題は簡単に結論が出せるものではないが、参加者に新たな課題を突きつけた形となった。本研究会は今回で3回目を迎えた。東欧と中央ユーラシアという一見異質な地域を対象としているが、歴史や現状には共通点も多いことや、相違点は比較の好材料となっていることが改めて明らかになり、徐々に議論も熟してきていると感じられた。

戻る