Central Asian Research Series No.4
Ismail Bey Gaspirali ve Dunya Muslumanlari Kongresi,
edited by Hakan Kirimli and Ismail Turkoglu,
Tokyo, 2002, 85pp.

 本巻は、ロシア領内のムスリム地域における教育改革運動の指導者として知られるイスマイル・ベイ・ガスプリンスキー(1851-1914)が、1907-1911年間に開催を試みた世界ムスリム会議に関する史料を集約しています。この会議は、ロシア・ムスリム地域における改革運動の成果を広くイスラーム世界に紹介する意図で、カイロでの開催が計画されましたが、結果としては実現されませんでした。しかし、この知られざる計画は同時代のイスラーム世界を考える上で、またガスプリンスキーの遠大な構想を理解する上できわめて興味深いものといえるでしょう。本巻には、ガスプリンスキーがオスマン帝国のアブデュルハミト2世に送った書簡をはじめとするオスマン語、アラビア語、フランス語の関係史料・記事が収められています。なお、本巻の編集には、トルコの気鋭の研究者ハカン・クルムルおよびイスマイル・テュルクオール両氏があたっています。(小松久男)



Central Asian Research Series No.5
An Index of Ayina,
edited by SHIMADA Shizuo,
Tokyo, 2002, 101pp.


 
 雑誌Ayina (鏡)は、ロシア領トルキスタンの指導的なジャディード知識人、マフムード・ホジャ・ベフブーディー(1874-1919)がサマルカンドで刊行したテュルク語・ペルシア語による啓蒙的な雑誌であり、トルキスタン・ムスリムの改革運動をその内側から理解する上で、重要な史料の一つと言うことができます。じっさい、1913年から1915年にかけて刊行されたこの雑誌の誌面には国際情勢、歴史、言語、文化、旅行記などきわめて多彩で興味深い論文や記事が並んでいます。今回の索引は、現在ウズベキスタンのタシュケントに留学中の島田志津夫氏(東京外国語大学大学院)の編集にかかるもので、英語の解説、各号毎の目次と著者名あるいは標題のアルファベット順の索引からなっています。表記は、現代ウズベク語の表記が採用されています。Ayinaのテキスト自体は、すでにマイクロ化されたものが市販されているので、利用はきわめて容易になっていますが、この世界最初の索引は、Ayinaはもとより、ジャディード運動の研究にも大いに寄与するにちがいありません。(小松久男)



Central Asian Research Series No.6
Muhammad Yunus Khvaja b. Muhammad Amin Khvaja (Ta'ib), Tuhfa-yi Ta'ib,
edited by B.M.Babadzhanov, Sh.Kh.Vakhidov, Kh.Komatsu,
Tashkent-Tokio, 2002

 中央アジア研究シリーズの最後を飾るのは、ムハンマド・ユーヌス・ホージャ、筆名ターイブ(1830−1905)のペルシア語の論説 Tuhfa-yi Ta'ib です。彼は、タシュケント生まれの文人で、コーカンド・ハン国の軍司令官アリー・クリに仕えて、侵攻してきたロシア軍と各地で戦った経験の持ち主です。タシュケント陥落後は、カシュガルに亡命してヤークーブ・べク政権に加わり、ヤルカンドの統治を任せられました。政権崩壊後は一時インドに身を寄せ、1880年初めにコーカンドに帰還し、その後はロシア統治下でカーディー職を務めています。この間、自身の体験をふまえて、ロシア侵攻期のトルキスタンの歴史をまとめており、これらは東西トルキスタンの近代史にとって重要な史料と考えられます(これらの写本は、タシュケントの東洋学研究所に所在)。

 今回の論説は、同じく東洋学研究所に所蔵されるもので、主としてムスリムとロシア人との関係のあり方、異教徒の支配下でムスリムが守るべき規範についてイスラーム法の観点から議論しています。興味深いのは、かつてロシアと戦った筆者が、ロシアの強大さを認識して、抗戦の無意味を語り、カーディーによるイスラーム法の施行が認められ、ミングバシによるムスリムの地方行政が行われている以上、トルキスタンはダールルイスラームだと議論していることでしょう。彼から見ると、1898年にアンディジャン蜂起を起こしてロシアに対するジハードを敢行したドゥクチ・イシャーンは、無謀にして容認できないデルヴィシュということになります。ウズベキスタンの若手研究者バフティヤール・ババジャーノフ氏とシャードマン・ヴァヒドフ氏による校訂テキストは、ロシア統治下のムスリム社会のありようを考察する上で貴重な史料と言えるでしょう。(小松久男)



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