第19回中央アジア研究セミナー

日時:2002年3月11日(月)14:00〜18:00
会場:東京大学文学部アネックス大会議室





(1)河原弥生 (東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
「ウマル・ハーンの即位に関する一考察―アミール・ハイダルの書簡をもとに」

報告:木村 暁(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程)

 河原氏による報告は,19世紀前半の中央アジア政治史上で主要な役割を演じたコーカンド・ハーン国とブハラ・アミール国との関係を再検討しようとするものであった。その題材に用いられたのは,ブハラの君主アミール・ハイダル(在位1800-26)がコーカンドのウマル・ハーン(在位1810-22)に宛てた二通の書簡であるが,これは未公刊の書簡集(ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所蔵)に収められているもので,研究史上でもまだ検討に付されていない。したがって,当該書簡がここで史料として活用されていることの意義は大きい。また、セミナー参加者は、現在東洋学研究所に留学中である報告者の最新の研究成果にふれることができた。

 19世紀初頭,コーカンド・ハーン国はアーリム・ハーン(在位1798-1810)のもとで強勢となり,領土を大幅に拡張した。その強大化の背景には軍制改革の実施があったが,一方でこれは軍の守旧派の反発を買ってもいた。結局,アーリム・ハーンは独断専行が災いして廃位され,弟のウマルがハーン位を襲う。この代替わりを正当化する意図が働いているコーカンド側史料の記述では,即位の状況が曖昧に述べられるとともに,アーリム・ハーンには否定的評価が与えられている。これを解釈するにあたって別の角度から光を当てるのが,アミール・ハイダルの二通の書簡である。

 一通目の書簡は即位前のウマルに宛てられているが,その書面でハイダルは,たがいの結束を強調するとともに,ウマルの側が表明していたアーリム・ハーンの専制に対する批判に同調し,ブハラからコーカンドへのシャイフル・イスラーム派遣の要請にも応諾している。二通目の書簡では即位を遂げたウマル・ハーンに対して祝意が述べられ、あらためて互恵と協調が謳われている。ちなみに、この二通の書簡の内容は、ペルシア語校訂テキストと和訳とをもって紹介された。書簡の文面はコーカンド側史料やブハラ側史料、および先行する関連研究の成果と照らし合わせながら読み解かれ、ウマル・ハーンの即位にブハラ側の働きかけが認められることや当時中央アジアで大きな影響力を振るっていたナクシュバンディーヤ・ムジャッディディーヤのシャイフもこれに関与していた可能性、さらにはシャリーアの遵守とスンナ派たることが政治・外交上の重要なファクターとなっていたことなどが指摘された。

 報告後の討論では、軍制改革の実態や代替わりにさいしての軍隊の継承の問題にかんする疑問、ならびに、政治的事件の背後にあって年代記や書簡には現れてこない経済的動機などへの目配りが必要ではないかとの指摘が聞かれた。他方、インシャー文学作品という性格に鑑みつつ当該書簡の偽作の可能性についての問題提起もなされたが、それへの確答は今後の課題となりそうである。そのほか、質疑応答のなかで、イスラーム教学の中心地たるブハラの宗教的権威とその保護者たるアミールの政治的権威とが複合的に機能し、当時のブハラとコーカンドの相互関係をある局面で規定していたという見解が提示されたのは示唆的であった。

 総じてこの報告は、書簡を含む文書史料群が叙述史料からは見えてこない歴史像を提供しうることを再認識させるものであった。19世紀前半の中央アジア史研究は依然として研究の遅れが指摘される分野にとどまっているが、それを新たな視点から進展させるうえでも、この報告はひとつの方向性を示しているといえる。



(2)ティムール・ダダバエフ (立命館大学国際関係研究科研究生)
「多民族地域における民族間関係と安全保障:中央アジアの事例から」

 ダダバエフ氏の報告は、1991年にソ連から独立した中央アジア諸国における民族間関係の緊張や民族間の対立・紛争の潜在的な可能性を多面的に検討した。その要因として提起されたのは、まず第1に中央アジア諸国の多民族性そのもの、第2にタジキスタン内戦で露わとなった地域閥や地方主義、あるいはカザフの伝統的な部族連合組織ジュズなどの要因、第3に水などの資源をめぐる対立と緊張という要因、第4に諸国間の国境問題であった。

 氏の報告は、中央アジアにおける民族間対立の発現を抑止するにはどのような課題があるかを追求した意欲的なものであり、ある一国の突出した利害の追求は、中央アジア地域の安定をそこなうものであるというバランス感覚に裏打ちされていた。報告後の討論では、民族の定義をめぐる問題、とりわけ一口で民族と言っても、実際にはさまざまなレヴェルを設けて議論すべきという指摘がなされ、またエネルギー資源、民族間の緊張や対立を抑止する要因などについて質疑が行われた。とりわけ興味深かったのは、地方閥の問題であり、これは歴史と現代とをつなぐ共同研究のテーマともなりえるものだと思う。いずれにせよ、イスラーム地域研究の中に設定された中央アジア研究セミナーの最終回において、現地ウズベキスタンの若手研究者の報告をいただくことができたのは幸いであった。

報告:小松久男


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