第18回 中央アジア研究セミナー

「中央アジアにおける国際関係とイスラーム」

日時:2002年3月2日
会場:東京大学文学部アネックス

報告:湯浅 剛(防衛研究所)




 2002年3月2日の研究会は2年前(2000年2月5日)に開催された同名の研究会の成果をさらに発展させたものとなった。前回の研究会は、東大文学部アネックスの会議室満員という盛況であったが、今回もまた30名近い参加者を得て活発な議論がなされた。
 今回の研究会の特徴の一つは、タジキスタンにテーマを絞った報告が2つなされたことであろう。



(1)岩崎一郎 (一橋大学経済研究所)
  「タジキスタンの市場経済化」


 タジキスタンは約5年間にわたった内戦のため、他の中央アジア諸国に比して市場経済への移行の点で立ち遅れているが、岩崎氏の報告では同国経済の現状が詳細に検討された。報告では、タジキスタンにおける経済自由化が1990年代半ば以降急速に進むなかで、工業部門の国有企業改革が進展していない実態を示す例としてタジキスタン最大の独占企業「タジキスタン・アルミニウム工場」の現状が説明された。同工場は、電力価格の点で優遇されている一方、タジキスタン全域での送電インフラや電力供給が不十分ななかで国内電力の約40%を消費し、電力料金を滞納しているという。

 岩崎氏の報告は、温情主義的な政府‐企業関係を背景とする市場経済化プロセスのバランスの欠如を指摘するものとなった。報告を手かがりとして、参加者からは旧ソ連諸国における「私有化」と「株式会社化」の違いについて(唯一の株主が国家という点では経営実態の劇的な変化は見込めないが、株式会社的制度に移行したという点では注目すべき現象である、とのこと)、タジキスタンにおける「闇市場」の存在について(「闇市場」の定義はさまざまであるが、税金未払いの経済セクターを指す場合、GDPの約3〜4割を占めている、とのこと)、などの質問が出された。



(2)宇山智彦 (北海道大学スラブ研究センター)
  「タジキスタンにおける歴史認識」


 もう一つのタジキスタンに特化した報告を行った宇山氏は、ソ連時代から独立後のタジキスタン出身の歴史家による民族・国史の記述の傾向を概観した。

 報告では、ソ連時代のタジク史研究で指導的役割を果たした人物として、タジク共和国共産党第一書記を経てソ連科学アカデミー東洋学研究所所長をつとめたガフーロフ(Bobojon Ghafurov)氏の一連の著作についての紹介がなされた。これらはソ連時代の他の歴史研究と同様、それぞれの時代の政治状況に左右された記述となっている。宇山氏はこれらについて、「タジク共和国史」ではなく「タジク人史」であること(1944年の共著について)、1898年のアンディジャン蜂起を「進歩的」としてロシアによる併合の「進歩性」を認めなかったことが後に批判・改定されたこと(1949年の著作について)、より広範なタジク史を記述するにあたり、スターリンから批判されたアゼルバイジャン出身の言語学者マルにより提示された概念を頻繁に使用していること(1972年の著作について)、などを指摘した。ペレストロイカ以降について、報告では民族主義の高揚とそれまで利用できなかったイランからの資料を利用する研究としてマーソフ(Rahim Masov)の一連の仕事、タジク内外の研究者によるフジャンドやパミールなどの地方史についての傾向、また民族をめぐる認識について、これを「想像された」ものとするのではなく、実在論的に所与のものとして記述されている点が指摘された。

 参加者からは、歴史的英雄としてのイスマーイール・サーマーニーをラフモノフ大統領になぞらえている具体例について、またペレストロイカ以降にマルクス主義的な歴史認識が継続しているのか、などの質問とともに、報告で紹介された「アーリア人の故地としてのパミール」という認識が19世紀的オリエンタリズム史観に相通じており興味深い、などコメントがあった。



(3)坂井弘紀 (北海道大学スラブ研究センター)
  「現代中央アジアと民族文化」


 前回報告との継続性を最も意識していたのが坂井氏である。報告はクルグズスタン(キルギズスタン)、ウズベキスタンの叙事詩記念祭に加え、ウズベキスタン国内にあるカラカルパクスタン共和国にて2001年9月に開催された「叙事詩エディゲとその研究に関する国際会議」への参加を踏まえたものとなった。

 坂井氏は、中央アジアにおける英雄叙事詩がいずれも国家主導の下での採録・出版されているものの、国家行事で取り上げられる叙事詩の性格に異なる点があると指摘する。キルギズスタンの「マナス」が唯一にして最大の国の象徴であるのに対し、ウズベキスタンにとりアルパミシュは、これが中央アジアに広く伝わっていることもあって「国民文化」の一つと位置づけられている。また、カラカルパクスタンのエディゲは自らの伝統文化を再確認するために用いられているそうだ。1990年代半ば頃まで、叙事詩関係の行事は大統領をはじめとする要人も参加する国家的な一大イベントであったが、最近はこのような政治的傾向は低まっているという。また、英雄の敵としての周辺民族(特にロシア)との関係を扱う場合に注意を払われる点も指摘された。

 カラカルパクに関する限り、今日もなお口承文学としての叙事詩の継承は代々語り手の子孫に伝えられている様子も紹介されたが、最近の若手の語り手には伝統的な叙事詩を扱う傍らポップスのボーカルとして人気を博している人もいるなど、興味深い事例が紹介された。




(4)岡奈津子(アジア経済研究所)
  「中央アジア諸国とアフガニスタン情勢」


 岡氏の報告は、2001年12月の中央アジアでの取材を踏まえ、今日の中央アジアの政治・安全保障の状況を取りまとめたものとなった。報告では、中央アジア諸国と米国、ロシア、中国との関係については、CIS安全保障条約や上海協力機構(SCO)といった安全保障枠組みが採り上げられたほか、2001年9月11日の米国におけるテロ事件とその後のアフガニスタン情勢にともなう米軍のプレゼンスをめぐる中央アジア諸国の対応が論じられた。

 岡氏の報告は、このような中央アジア諸国と主要国間と関係と併せて、中央アジア諸国どうしの関係に注目するものとなった。岡氏は中央アジア諸国間に、対ロ協調路線(カザフスタン、キルギズスタン、タジキスタン)、地域覇権国志向(ウズベキスタン)、永世中立(トルクメニスタン)といった路線の違いが存在していること、既存の経済協力の枠組みを発展させた「中央アジア協力機構」(2002年2月に創設条約調印)が設立されたことも指摘した。また、イスラーム勢力の動静としては、タジキスタン・イスラーム復興党の一部が合法化路線に不満を持ちイスラーム解放党に合流していること、米軍駐留に対する住民の反発が解放党の活動の活発化につながっていることなどが指摘された。

 参加者からは、対ロ協調とは一線を画すウズベキスタンは、二国間レベルではロシアと多様な安全保障関係を構築していること、CISならびにSCOの反テロリズム機構の現状についてコメント・質問が出された。



(5)輪島実樹(ロシア東欧経済研究所)
  「カザフスタン民営化の現状」


輪島氏の報告は、ブルーチップ・プログラム(国家保有株の売却による民営化)の現状についてまとめた今回の報告は、カザフスタン内外の経済指標にもとづき、好況の中で市場経済への移行が停滞している、というカザフ経済の隠れた実態を示す興味深い報告であった。
 1996年以来、カザフスタン政府は優良企業の民営化推進、国内証券市場の立ち上げ、民営化収入の増加を目的とするプログラムを進めてきたが、それらは度重なる対象企業の入れ替えや売却見送りで停滞している。輪島氏はその理由として、1998年のロシアを中心とする金融危機ならびに石油と非鉄金属価格の低下から改革の好機を逸してしまったこと、カザフ経済が次第に資源輸出型に変化し、2000年にいたって資源価格が急上昇したことから、改革の志向が減退してきたことを指摘した。また、報告では、統計的には現れない政治的背景として、1990年代をつうじてカザフスタンのエリート間で展開された独立後の利権の「線引き」をめぐる争いが最近になって落ち着きを見せていることも、民営化改革停滞の要因として示唆された。



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