Islamic Area Studies
Research Meeting (Unit 1)


日時:2000年9月8日(金)
会場:京都大学 アジア・アフリカ地域研究研究科
連環地域論講座講義室


発表1 Japanese Perspectives on Islamic Revival

小杉 泰
(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)

発表2 Islamic Revival Developments,
Transformation and Prospects


ディア・ラシュワーン
(エジプト・アフラーム政治戦略研究センター)

報告:末近浩太
(アジア・アフリカ地域研究研究科)


 本研究会は、新プロ「イスラーム地域研究」第1班とイスラーム世界研究懇話会との合同で行われた。



発表1Japanese Perspectives on Islamic Revival

 最近、欧米ではイスラーム復興が限界点に達したとみなす傾向があるとされる。しかし小杉氏は、これを近年の急進的過激派の衰退だけを視野に入れた見方であると批判する。実際はむしろ、社会の再イスラーム化がある程度達成された結果、復興のプロセスが「見えにくくなっている」のであり、その意味ではむしろイスラーム復興の裾野は広がり続けている。

 20世紀後半における日本の衝撃的なイスラーム復興「体験」は、
(1) ラマダーン戦争と第1次石油危機(1973)、
(2) イラン革命(1979)と第2次石油危機、
(3) 湾岸危機と湾岸戦争(1990-91)
である。すなわち、それまで戦後日本が自明としてきた「政治と経済」「宗教と政治」「平和と戦争」といった区別が、イスラームにおいては不可分であることを知らしめたのである。日本は強烈なカルチャーショックを受けた。

 戦前の日本では、経済活動と帝国主義政策の不可分性や国家神道の唱道などに見られるように、この3つの区別は曖昧であったか、もしくは存在していなかった。しかし、戦後の日本は戦前の体制の否定を土台に建設されたため、これらの区別を生むこととなったのである。イスラーム復興が、50〜60年代に中東を席巻した世俗主義に対する反動という側面を持っていることを考えると、日本とイスラーム世界は逆のベクトルへ向かっていたといえる。すなわち、イスラーム世界は「区別しない」方向に、日本は「区別する」方向に、それぞれが歩んでいることになる。この点では、上述の日本の3回の「体験」は、いわば自己を問い直す契機でもあり、非常に興味深い。

 こうした状況下で、日本のイスラーム研究は発展した。第1次石油危機が日本人の目を中東に向けさせる大きな契機となったが、実際に行われたのは主に「アラブ研究」であった。イスラーム研究が本格化したのは、イラン革命以降である。それは、西洋からの輸入学問ではない、日本から見た独自のイスラーム研究である。そのスタンスを象徴する一例として、小杉氏が提唱し、もはや一般化した感のある「イスラーム復興」という語の使用が挙げられる。

 欧米では一般にこの語の代わりにIslamic Fundamentalism(イスラム原理主義)が用いられるが、その背景には偏見に満ちた「イスラーム脅威論」があり、急進的な過激派だけを研究対象とする傾向が存在する。そのため、穏健派の活動や非政治的現象を正確に捉えることができない。その意味では、冒頭で触れたような見方が生まれるのも必然といえる。

 最後に、今後のイスラーム研究に不可欠なものとして、氏は「グローバル時代の客観性」、すなわち、(1) 原典や臨地研究に立脚した確かな資料と分析、(2) 学派や方法論の壁を超えた研究者どうしの協力、(3) 政府・国家ではなく人類・地球レベルの発展を視野に入れた研究、を提唱し、論を結んだ。

 小杉氏の発表は、日頃からイスラーム研究に携わっている我々のスタンスの再点検を促すと同時に、その独自性と意義を再確認するきっかけとなり、非常に勇気づけられるものであった。



発表2 Islamic Revival Developments, Transformation and Prospects

ラシュワーン氏は、エジプトにおけるイスラームの現状を、独自の分類法で描き出すことを試みる。イスラーム運動を専門にする欧米の研究者が対象としてのいるのは、その一部―イスラーム原理主義―に過ぎず、その結果、エジプトのイスラームに対する包括的かつ正確な理解を妨げているということに、氏は警鐘を鳴らす。

 分類は以下の通りである。
(1) 大衆の社会的イスラーム:社会的規範としてのイスラームで、時空間を超えたもの。タリーカとアズハル学院の両者が、その中心的な担い手とされる。

(2) イスラーム復興運動
(A) イスラーム的(宗教的)運動(Islamic Religious Movements)
 信仰(アキーダ)を重視し、原点回帰を目指す。「原点」の規定をめぐって、さらに2つに分類される。
(a) マッカ期:政治性、暴力性を帯びない。例えば、タクフィール・ワ・ヒジュラ。
(b) マディーナ期:政治性、暴力性を帯びる。例えば、イスラーム集団。欧米の研究者が主に関心を持っているのは、このマディーナ期を理想とする急進的イスラーム運動である。

(B) イスラーム・イデオロギーを伴う社会・政治的運動(Socio-political Movements with Islamic Ideology)
 アキーダよりもイスラーム法(シャリーア)を重視する。そのため、「宗教的」な動機付けは副次的なものとされる。例えば、ムスリム同胞団が挙げられる。

 1996年夏から1997年にかけて、エジプトのイスラーム復興運動において(A)から(B)への移行が顕著になった。例えば、ジハード団が政治的暴力を(一時的に)放棄したことなどが挙げられる。この「移行」そのものは、イスラーム史においても幾度となく見られる現象である。その推移は段階的なものであり時間を要すが、今日のエジプトにおいて、大きな流れとしてこれからも継続すると考えられる。

 近年、欧米においてイスラーム運動が衰退し始めたという議論が見られるが、それはこの(A)から(B)への移行の断片、つまり一部の急進派[(A)-(b)]の変遷のみに注視した恣意的な解釈であると、氏は批判した。


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