第1班Bグループ研究会

4月15日、11時−17時
於アジア経済研究所  C22会議室



イラクにおけるイスラーム政党
イラン・イスラーム体制と西欧的諸価値



第1報告
イラクにおけるイスラーム政党と
マルジャイーヤ運動の連関性
―社会運動か政治運動か


酒井啓子 (アジア経済研究所)


  まずイラクにおける「イスラーム政党」を「政治空間に浮遊するさまざまな利益a・思想b吸収c・動員dしてその力を背景に政治過程の継続的支配権を奪取e,fしようとする人々の集合体/目的は全体的な政治権力獲得*行使・維持から、政府を形成して立法過程の主導権を得るgこと」という政党の定義に即して考えると、

a.の「さまざまな利益」には宗派、学派、タリーカ、信徒集団、礼拝に集う地縁共同体、イスラーム施設管理関連する役職の族支配、巡礼に伴う経済ネットワーク、それに伴うパワーポリティクスなどが挙げられ、
b.の「さまざまな思想」にはイスラーム復興思想が当てはまる。

ここで問題となるのは、d.の「動員」の際、
a.利益集団ではその共同体が置かれた政治的経済的位置づけを利用して、別の目的のために利益追求行動が選択されるが、その場合動員される利益は主目的から副次的なものとなるため、イスラームと関係のない目的のために諸イスラーム共同体の利害関係が利用されることも含まれる。

あるいは同様にb.イスラーム思想の場合、イスラームに基づく解釈を利用して、別の目的のための行動が正当化される。これらをイスラーム政党と呼ぶかどうかが問題となる。

またe.「継続的支配の奪取」においては合法活動たる選挙(選挙制度のない場面においてはそれを代替する諸意見代表制度)を最終目的とした集票活動を基本とするが、十分な意見代表システムを持たない国においてはしばしば暴力を含めたあらゆる権力奪取手段が起用される。その場合政治行動の延長としての暴力については「政党」としての行動範囲に入るが、問題は「単一世界観」の実現=世界観を異にする者を抹殺するための暴力を起用する場合をどう扱うか、ということになる。

  以上の定義に基づいてイラクの各イスラーム組織を分類すると、以下のような表となる。

純粋思想型政党
ダアワ党

既存社会集団利益代表型政党
SCIRI
イスラーム行動組織
トルコマン・イスラーム党
イラク・イスラーム党
クルディスタン・イスラーム運動
クルディスタン・イスラーム連盟

(うちエスニック・アイデンティティを自認するもの)
トルコマン・イスラーム党
クルディスタン・イスラーム運動
クルディスタン・イスラーム連盟

政権参与目的を持たない運動
91年3月インティファーダ
サーディク・サドルの改革運動
ホイ財団

  そこでウラマーの政治的動員力と復興思想政党との関係をどう捉えるかという点に注目されるが、そこでシーア派社会の場合marjaiyaという特殊性を考慮する必要がある。「近代政党」形式がウラマーネットワークと親和するか反発するか、現われ方に二様あり、例えば純粋近代政党形式としてはダアワ党が典型例、ウラマーネットワークが「政治組織」へと横滑りした例としてはイスラーム行動組織がある。また近代政党形式を模索しつつウラマーネットワークパターンから脱却できないSCIRIという例もある。

  その中で1999年2月に発生したMuhammad Sadiq Sadr暗殺事件が、サドルの「ハウザとマルジャイーヤの護持」を目指す運動に端を発していたことに注目、こうした「政治」から「文化」への流れの中に、政治活動禁止状況のなかでやむをえない「伝統的ネットワークへの依存」を見るか、「ひとつの政治的目的における二つの側面」を見るか、検討した。



質疑

c. 前半の政党定義と後半の議論のつながりがよくわからない。

q.地域研究の枠組みと政治学の類型化とどちらを優先させる意図か。

a.なるべく他の事例と比較できるように類型化に重心を移した形での立論を心がけた。

c. 「伝統的」という表現は望ましくないのでは。イスラーム世界固有のネットワークといった表現のほうが望ましい。

q.ハウザとは実態としてどういうものと理解すべきか。スンナ世界で言うマドラサと同じと理解してよいか。

a. 基本的には「学界」と理解している。学舎の存在ではなく師弟関係の存在を差し、公的に認められたものもそうでないものもあると理解している。

c. イスラーム政党という類型をあえて設ける必要性がどこにあるのか。ムスリム政党/イスラーム主義政党というような分類でも良いのではないか。何故「イスラーム主義」政党ではないのか。


a.イスラーム政党との類型については、とりあえず分析概念として設定しておくが、これが有効かどうかについては今後実証していく中で帰納的に証明されるかどうかを見る必要がある。ムスリム政党とイスラーム主義政党を分けるとその二者の連関性/類似性が見えなくなる可能性があるのでは。


第2報告
イラン・イスラーム体制と西欧的諸価値
―途中報告―


富田健次 (大分県立芸術文化短期大学)


  まずリベラリズム(自由主義)とは何かという点については、「経済的には資本主義を、政治的には議会制民主主義を基本とする社会である」という藤原保信の定義を援用し、経済における解放/自由化の原理を「資本主義」とし、政治における解放/自由化の原理を「議会制民主主義」、道徳における解放/自由化の原理を「功利主義」として、物質主義や利己主義の随伴を妨げないものと考えられる。

ここから現代のリベラリズムには以下の各種の幅が考えられる。
@リバタリアニズム/自由至上主義:共通善の強要を拒否し、多様性こそが人格的な豊穣をもたらすとし、さらには共通善の強要が全体主義を生み出す、とする立場で、北米で際立っている。

A平等主義的リベラリズム/福祉国家論的リベラリズム:一定の範囲での共通善の成立の承認を説き、合意可能なものとしての社会的ルールすなわち正義の要求をする立場で、1970年代の平等主義的リベラリズムに強い。

Bコミュニタリアニズム:政治的強要を拒否するものの、価値観の公共的交流を重視する理解などのことで、80年代に主流。

  以上の幅を持ちながらも、「個人と社会の人格的道徳的完成を目指す善き生を目的として掲げる卓越主義が否定され、政治的決定や体制の正当化の根拠として人間の卓越性に関する特定の構想に訴えることは認められない」、さらに「あれこれの構想のうち特定のものが政治的道徳的拘束力を持つ場合に」「リベラリズムはこれを否定する」という点では共通である。

  以上を前提としてホメイニー師とリベラリズムの対立点を見てみると、ホメイニー師のヴェラヤティーファギー論では「強者の論理としてのリベラリズム」との認識がまず指摘できる。すなわち国内階級闘争の形よりも南北問題として第三世界の国々に矛盾が集中している、として、特にリベラリズムを奉じる現地支配層を介した自由競争原理による強者たる英米の経済的搾取と個人主義=利己主義の蔓延、物質主義、欲望の解放による道徳の退廃を批判する。そしてこれらに対する反発と拒否から、強者=リベラリズムに対して弱者を守る論理としてイスラーム主義を主張する(特に衰退した社会主義に代わって)。

  第二に、共通善を目指す立場についての対立が指摘できる。すなわちホメイニーは「完全な人間」という目的を定めるが、このこと自体はイスラームのみに独自のものではなく、西欧中世以前の価値観にも見られ、これらは個人レベルではリベラリズムの基本信条と衝突するわけではない。しかし問題はその価値観を社会全体に強要する点であり、ヴェラヤティーファギー論の「社会は公正なるイスラーム法学者=完全に最も近い人間に指導されなければならない」、「信仰深く美徳なる人間を育成する社会条件を創る義務がある」といった社会構成員同士の相互干渉を前提とする点が、近代西欧のリベラリズムと衝突する。

  こうしたホメイニー師の立場に対して、ハータミー師は、リベラリズムとホメイニー師の対立を「近代と中世の対立」と認識、「イランの伝統はもう一つの文明である中世ヨーロッパのそれに、より適合しうる」と指摘する。そしてイランが近代西欧に代わる新しい文明の旗手たるには西欧の長所を取り入れるべき、としている。しかし上に指摘した二つの衝突点をいかに解消するかについては、明らかにされていない。



質疑

q.)リベラリズムに問題を絞った理由は何か。

a.)リベラリズムとホメイニーという対立項は、イラン研究においては一般的である。

c.)「リベラリズム」という名づけは倫理的に問題がある場合や政教分離を意味する文脈で使用されており、何故リベラリズムはよくないか、という議論が展開されている。

q. )民主主義はどのような位置づけになっているか。ゲルナーは民主主義はイスラームと親和するがリベラリズムは対立する、と指摘しているが・・・・

c. )民衆に決定権を委ねるかどうか、ということで考えれば、答えはNoである。ハータミーは「家父長的メンタリティに基づいて指導者としているのではなく、選ばれたからいるのだ」と述べて、民衆の決定権を否定するホメイニー師のスタンスとの差異性を強調している。

q.) 人間が決める法律がシャリーアに一致する」という考えがスンナにはあるが、シーアにはないのか   a.)ない。

c.)保守派=guided democracy, ハータミー=democracyという構図ではないのか。

c.) ホメイニーの言う「有徳のウラマー」とは個人、生身の人間としての問題ではなく、制度としてのウラマーが有徳であるということではないのか。ヴェラヤティーファギーの質がトップにいる人の性質によって左右されるものではない。これまでもファキーフ個人に依存する体制は望ましくない、との議論もあった。

c.)モラリストのホメイニー、ハータミーが議論されているが、本来イスラームは欲望を抑えることを是と強調するものではないはずだが。

 研究会トップへ戻る

 1班トップへ