第14回
中央アジア研究セミナー

Stephane A. Dudoignon
(CNRS- Strasbourg)


An Islamic Modernism in Siberia:
The Journal "Sibiriya"
(Tomsk, 1912-1913) and its Audience


11月18日(土)午後3時〜
東京大学文学部アネックス

 
文責:小松久男




 ドゥドワニョン氏の報告は、一言でいえばシベリアのイスラームに関する開拓的な研究であった。これまで、シベリアのイスラームといえば、ソ連の民族誌学による習俗としてのイスラーム、たとえばシャーマニズムとイスラームとの習合や「辺境のイスラーム」という角度から論じられてきた。これにたいして、氏の研究は20世紀初頭の雑誌 Sibiriya (1911-13)を史料として、シベリアにおけるイスラーム改革運動のダイナミックな側面を鮮やかに描き出した。

19世紀の後半以来、大量のスラブ・ロシア系移民の入植やロシア人による地方行政の運営(たとえば市ドゥーマの開設)と市民社会の成長という挑戦に対して、トムスクのムスリムの間には教育改革によるムスリムの啓蒙と政治参加を目的として、世俗的な知識人による改革運動が始まった。1909年に創設された「シベリア・イスラーム進歩協会」はその先駆けであり、ムハンマド・ヴァーエズ・ナウルーゾフとその妻による雑誌『シベリア』は、その機関誌であった。これらはタタール人の篤志家の支援によって維持され、ナウルーゾフは、トムスクのバザール商人たちをその背景にもっていたようである。

 この雑誌には、教育改革への強い志向とともに、はるかなオスマン帝国における改革運動への熱い関心と共感、そして同時代のロシア知識人の思考様式や価値観、とりわけ「社会的な貢献」の重視、政治参加、シベリア自治への関心などがあふれていた。もっとも、オスマン帝国への関心は、いわゆる汎トルコ主義や汎イスラーム主義とはほど遠いものであり、むしろロシアの思想・文化的な影響の方が濃厚であった。それは、報告者によれば、ブハラなど中央アジアとの伝統的な関係がほぼ途絶え、西方のロシアとの関係が緊密化した結果ということになる。

 読者数が限られていた『シベリア』はまもなく停刊し、拠点をウファーに移して雑誌『トゥルムシュ』(1913-14)に継承された。その主幹は、かつてアズハルに学んだザーキル・アルカーディリーであり、これ以後はマドラサ周辺の読者を意識しつつ、政治的な主張を控える傾向が強まったという。

 今回の報告は、これまでほとんど不明であったシベリアにおけるイスラーム改革運動を発掘したという点できわめて貴重であり、ここで解明された事例は、クリミアやザカフカースにおける事例と十分に比較が可能である。このような研究を積み重ねることによって、ロシア・ムスリム地域における実に多様なイスラーム改革運動の実体が明らかになるだろう。視野の広く、展望に富んだ報告であった。なお、この報告のもととなった論文は、まもなく、フランスの研究誌 Cahiers du Monde russe のシベリア特集号に掲載、公刊の予定である。

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