第12回中央アジア研究セミナー

テーマ:"National Identity and Culture
in Post-Soviet Uzbekistan"


報告1
Komatsu Hisao (The University of Tokyo)
"Reform and Rebellion in Central Asia at the Turn of the 20th Century"  

報告2
Laura L. Adams (Department of Sociology, Hamilton College)
"National Identity and Culture in Post-Soviet Uzbekistan"


日時:7月21日(金)午後2時から
会場:東京大学本郷キャンパス 法文2号館中2階
多分野交流演習室


報告者 渡邊 日日(日本学術振興会特別研究員)


 第12回を数える今回の中央アジア研究セミナーは,小松久男氏(東京大学)とローラ・アダムズ氏(Laura L. Adams; Hamilton College, アメリカ)による二本の報告であり,双方とも英語で行われた。参加人数こそ20名弱と少なかったとはいえ,密度の濃い発表と議論が行われたと考える。参加者は教員・大学院生・JICA関係者で,専門分野は歴史学と文化人類学にわたっていた。

  本研究セミナーの代表者である小松氏の発表,"Reform and Rebellion in Central Asia at the Turn of the Twentieth Century"は,氏のこれまでの研究成果(今回の発表に即して言えば,/1/, /2/, /3/)をおさえながら,中央アジアにおけるイスラーム化の理解を目指したものである。イスラーム化といえども,そもそも何時,そして何をもってイスラーム化が進んだのかを言い当てるのは困難に違いない。そこで氏はイスラーム化を,「持続的な過程,再イスラーム化が繰り返される過程」として捉え,二つの歴史的事件に焦点を当てる。

  一つ目は,トルキスタン・フェルガナ盆地で1898年に生じたアンディジャン蜂起である。この出来事を理解するには,反植民地主義的志向をもったこの蜂起を指導した,ナクシュバンディー教団のイシャーン(スーフィズム導師の当地名称)のドゥクチ・イシャーン(Dukchi Ishan)の思想と行動を解釈しなければならない。その際に重要となるポイントは,フェルガナ東部に居住していた遊牧キルギス人である。彼ら彼女らはイスラームを信仰していたとはいえ,前イスラーム的慣習やスーフィズムの影響を強く残していた。と同時に,ロシア人入植者による様々な社会的圧迫(例えば土地の減少)に苦しんでいた。遊牧キルギス人とドゥクチ・イシャーンは,イスラーム社会の「浄化」を目指す点で一致し,蜂起に向けて準備したのである。ここで見落とすべきではないのは,スーフィズムの影響の共有という長所を彼が見いだして,遊牧民や定住民,諸民族といった多元的な社会構成を越えて,住民全てを統合するようなムスリム共同体の思想を樹立した点である。

  「真の」イスラームの探求というこの方向性は,ジャディードと呼ばれるロシア・ムスリム改革者たちに受け継がれていく。第二の考察は,ブハラとトルキスタンで活躍したジャディードの一人,フィトラト(1886-1938)に当てられている。ムスリムによるイスラームの自己批判的検討にこそ,フィトラトの面目躍如があった。つまり,イスラーム文明が衰退しつつある現状は,ムスリム自身にも責任がある。自ら文明に目を閉ざし,宗派どうしで対立してウンマ(ムスリム共同体)を壊している,と訴えた。また,「新方式学校」の影響下にジャディードたちがいたゆえ,フィトラトもまた教育の改革(近代科学と同時にイスラームの「正しい教え」の教授)を主張した。こうした主張からは,近代主義的な社会・文化改革に沿ってイスラームの再興をはかろうとする彼の思想が見えてくる。

  思想も行動も異なっていたとはいえ,ドゥクチ・イシャーンとフィトラトは,「真の」イスラームを求める再イスラーム化を主張していた点で一致していた。最後に小松氏は,現在のウズベキスタンで両者への評価が互いに反対の方向にむいている点を指摘したが,これは両者の様々な意味でのアクチュアリティーを物語っていると言えよう。

  第二報告の"National Identity and Culture in Post-Soviet Uzbekistan"を行ったのは,社会学を専門とするアダムズ氏である。彼女の関心は国家儀礼や祭典の文化社会学にあり,手法的には文化人類学の流れにある。ソヴィエト連邦が解体して現地調査が可能になると,アメリカとイギリスを中心にして旧ソ連を対象とする研究者が増えてきた。対象地域も散らばっており,中央アジアの現地調査を行う者も少なくない。彼女もその一人である。

  アダムズ氏はウズベキスタン・タシュケントで文化エリート(文化省役人,国家儀礼の組織者や振り付け師,作曲家,民俗アンサンブル団体,民族誌学者)にインタビューを行い,実際の国家儀礼(独立記念日や,ゾロアスター教の流れをくむ春分の祭典ナヴロゥズ[Navroz; Navruz])を参与観察し,今回の報告に重なる論文をすでに発表している(/4/や/5/)。

なお,アダムズ氏は自身のホームページを開設しておりhttp://academics.hamilton.edu/sociology/ladams/home.html
経歴や関心,研究論文の要約(全文の場合もある)を知ることができる。

  ビデオを用いたアダムズ氏の報告の論点は,大きく言って,ウズベキスタンの国民文化形成における二つの特徴を指摘するものである。旧ソ連から独立し,国民統合の一環として国民文化を立ち上げなければならないウズベキスタンは,文化生産にあたって,二つのモデルを採用した。一つは,ウズベキスタンの理解において文化は,「形式」こそが重視され,国家によって組織されなければならないというモデルである。国民文化は,例えば,民族衣装をまとった民俗アンサンブルによる民族歌謡のコンサートや,歴史的シンボルと今やなったティムールを記念する行事などによって,表象される。文化省の役人を初めとする文化エリートが,これらの国家行事のアウトラインを作る。国家的・民族的シンボルを表出して,これを国民(national)文化として認知させようとするこのモデルには,文化省などの文化諸制度を通していれば民族(national)文化の表象を許容し,実践してきたソヴィエト連邦との連続性を観察することができる。(なお,この点については,私も類似した点を議論したことがある。/6/と/7/を参照。)

  ウズベキスタンが独立した以上,国家の正統性を国民のみならず世界にも向けて,表出しなければならない。これが「国民性の全世界的モデル」である。この第二のモデルは,あらゆる近代国家が採用しているものだとアダムズ氏は主張している。国民文化は世界標準の形式で表象されなければならない。例えば,ウズベキスタンは朝鮮人,ウィグル人,タタール人なども含む多民族国家であるゆえ,朝鮮人の舞踊団体が他民族とともに,文化祭典を行う必要がある。これは,ウズベキスタンが自国における「諸民族の友好」の価値を内外に示すことになるが,このように,平和という普遍的な理念を国民文化の独自性とともに表出しなければならないのが現在の国民国家の姿なのである。

  問題なのは,上記二つのモデルで作られるウズベキスタンの国民文化が,あくまでウズベキスタン・アイデンティティの理念であって,現実ではない点である。国民自身は,官製の国民文化に大きな関心を抱いているようには見えない。他にも,例えばティムールのシンボルによる「偉大なるウズベキスタン」というモチーフは,中央アジアの大部分に関係するものであるゆえ,カザフスタンなどの近隣諸国はこの種のシンボル利用にナーバスにならざるを得ない。文化行事を組織する方法も,民主的とは言えない。文化エリートが組織する以上のような国民文化の在り方が今後どのような道をたどるのか,これからも観察が必要であろう。

  本研究会の二つの報告は,時代も研究スタイルも異なる内容であり,共通の土台にのっとって議論が必ずしも行われたわけではなかった。一致していた論点としては,現在のウズベキスタンにおける宗教的ラディカリズムの「タブー」が挙げられるだろう。ウズベキスタン政府としては,その「近代化されたイスラーム」像ゆえにジャディードの方向性を評価する,との小松氏の指摘は,国家による文化行事から宗教色が注意深く削除されているというアダムズ氏のそれと重なり合う。歴史的事象は,国家が国民史(つまりは国民アイデンティティ)の形成をはかるにあたって言及せざるをえない対象である以上,常に政治の文脈で記述され(歴史書),表象(文化祭典)される。だがその一方で,宗教色の減色が指摘されうるのであれば,「イスラーム復興」における宗教とは何だったのか,と逆に問い返されることになろう。この点を,最後に深く考えさせられた研究会であった。

  中央アジアに関心をもつ人がアメリカでも同様に増えてきてはいるが,実際に,古文書を含め文献・史料を幅広く収集したり,あるいは本格的なフィールドワークを行って,一次資料を駆使する研究成果をだしている研究者はまだまだ少ない。それゆえこそ,中央アジアという地域を同じくする研究者が集まり,それぞれの専門分野から知見を交換し,議論の場を共有することの意義は大きいと言えるだろう。

引用文献
/1/小松久男「アンディジャン蜂起とイシャーン」『東洋史研究』44(4),1986年。
/2/小松久男「あるジャディードの軌跡」『史朋』23, 1989年。
/3/小松久男『革命の中央アジア−あるジャディードの肖像』東京大学出版会,1996年。
/4/Laura L. Adams, "What Is Culture?: Schemas and Spectacles in Uzbekistan," Anthropology of East Europe Review, 16(2), 1998.
/5/Laura L. Adams, "Invention, Institutionalization, and Renewal in Uzbekistan's National Culture," European Journal of Cultural Studies, 2/3, 1999.
/6/渡邊日日「ソヴィエト民族文化の形成とその効果:『民族』学的知識から知識の人類学へ」望月哲男・宇山智彦(編)『旧ソ連・東欧諸国の20世紀文化を考える』北海道大学スラブ研究センター,1999年。
/7/ Hibi Watanabe, "Having Lived the Culture the Soviet Way: On Aspects of the Socialist Modernization among the Selenga Buriats," Interdisciplinary Cultural Studies (The University of Tokyo), 5, 2000.

(2000年8月5日,記)


中央アジア・ネットワークへ

1班トップへ