中央アジアの東部に位置するフェルガナ地方には、現在ウズベキスタン、
タジキスタン、クルグズスタンの3国の国境線が走っている。
 しかし、地形を見ればわかるとおり、このフェルガナ地方は、中央アジア
の大河シル川の上流を軸として三方を山岳に囲まれた盆地の地形をして
おり、シル川と山岳から下る小河川の提供する豊かな水に恵まれ、平野部
では古来から農耕が営まれ、山岳地域では遊牧が行われていた。定住民と
遊牧民とは歴史をとおして、共存と対立の関係をはぐくんできたが、ここ
フェルガナ地方は地理的にも、生態的にも一つのまとまった地域であったと
考えられる。実際、18世紀末から19世紀半ばまで、この地方にはウズベク
系のコーカンド・ハン国が成立し、多様なエスニック集団を政治的にも統合
していた。  この地域に国境線がしかれたのは、ロシア革命後の1924年にソビエト
政権が中央アジアの「民族的境界画定」を行ったときである。もっとも、ソ連
時代の共和国の国境線はたぶんに名目的であり、土地の人々の往来を
妨げるものではなかった。しかし、ソ連の崩壊にともなう中央アジア諸国の
独立によって、この国境線は実質的なものとなり、各国の利害の対立や
安全保障上の要因によって、地域の人々をまさしく分断することになった。


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