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サンクトペテルブルク出張報告

 

期間:2000年3月3日〜18日

出張者:近藤信彰(東京都立大学) 磯貝健一(日本学術振興会)

 

はじめに

 

サンクトペテルブルク(旧レニングラード)は、旧ソヴィエト東洋学の中心の一つであり、そのペルシア語写本コレクションは世界有数のものとして知られている。しかし、出張者両名にはこれまで訪問・調査の機会がなく、また内外の研究者から詳細な情報をえる機会もなかった。今回の調査の第一の目的は、東洋文庫が東洋学研究所からマイクロフィルムを購入する写本の選定であった。また、同時に出張者両名の研究目的の写本調査であり、さらにはイスラム地域研究第6班で行われているペルシア語文書研究会、および2000年11月に京都で行われる予定のペルシア語写本講習会の下準備を兼ねていた。

サンクトペテルブルクにはイスラーム関係の写本をおさめる主な研究機関が3つあり、主要3言語の写本数は以下のとおりである。

アラビア語 

ペルシア語

トルコ語

東洋学研究所 

5,184

 3,058

約1,500

国民図書館

1,312

950

406

ペテルブルク大学

約300

約900

約270

(数字は World Survey of Islamic Manuscriptsによる。トルコ語はチャガタイ語・オスマン語の双方を含む)

 時間的な制約により、このうち、ペテルブルク大学の調査を行うことはできなかった。

 

1. ロシア科学アカデミー東洋学研究所ペテルブルク支所

(Sankt-Peterburgskii Filial, Institut Vostkovedeniya, Rossiiskaya Akademiya Nauk)

連絡先:14 Dobrolyubov St.. 197198. Sankt- Peterburug Russia

tel. & fax +7(812)2389594      ホームページ http://www.thesa.ru

 

大ネヴァ川沿い、エルミタージュの並びにたつ、世紀の宮殿建築のなかにある。今回は、東洋文庫とのここ数年の協力関係のため、写本部門の責任者Margarita I. Vorobyova- Desyatovskaya女史の歓待を受け、スムーズに写本の閲覧を行うことができた。

東洋学研究所のコレクションは、旧ロシア帝国科学アカデミーのアジア博物館のそれを継承している。イスラーム関係の写本は、収めている書棚のアルファベットとその書棚のなかの番号で示されている。書棚では、アラビア語の写本も、ペルシア語、トルコ語のそれも混在して配下されており、配下番号から何語の写本であるかを判断することはできない。

写本目録は、通常、2種ある。一つは、「短いカタログ」(Kratkii katalog)であり、アリフバー順にコレクションのすべてを網羅し、それぞれに数行の簡単な紹介を付したものである。アラビア語とペルシア語についてはすでに公刊されている(いずれも東洋文庫所蔵)が、トルコ語については未刊であり、コレクションの全貌を知ることはできない。もう一つは、「解題」(Opisanie)というものであり、分野ごとの分冊で各写本につき1頁以上の解説を付したものである。構成は以下のとおり。

アラビア語

vol.1散文学 vol.2 地理書 vol.3歴史

ペルシア語

vol.1 地理  vol.2 伝記 vol.3 歴史 vol. 4ペルシア語−ペルシア語辞典 vol.5 ペルシア語二言語辞典 vol.6 民話 vol.7 ペルシア文学(10-13c初頭) vol.8 ペルシア文学(11-13c初頭) vol.10 詩集 (vol.2以外は東洋文庫蔵)

トルコ語

vol.1 歴史  vol.2 歴史、証書、百科事典、伝記、地理、暦 vol.3 韻文学およびその解説 (いずれも東洋文庫蔵)

  

 ペルシア語写本に関しても、「解題」シリーズの方に写本の詳細な解説があるが、分野が限られているため、しばしば「短いカタログ」を参照せざるをえない。幸いなことに、 事前に日本である程度写本目録を検討することができ、大幅に時間を節約することができた。

調整・確認のために再度目録を点検したあと、写本目録では内容不明の約20点を実物を見て検討した。主に目録で短に"asnad"(文書)、"maktubat"(書簡)、 "insha" (書簡典範)となっているものである。これらのなかには、出張者両名の興味をひく写本、文書が多数含まれていた。とりわけ注目されるのは19世紀のブハラで編纂された訴訟文書集成、もしくは訴訟文書典範集というべきものであった。各項目が"mahzar"という語で始まり、告訴の内容が記されているこの写本の形式は、中央アジア古文書研究を専門とする磯貝にとっても初見であり、中央アジアにおけるいわゆる「シャリーア法廷」の機能を明らかにしうる貴重な史料となりえよう。また、現地では入手しずらいコーカンドやブハラのファトワー文書を十数点を発見した。イラン関係では、編者を確定するまでには至らなかったが、1052AHの日付を持つサファヴィー朝シャー・タフマースプ時代の書簡典範集があった。専門を異にする出張者両名が議論をしながら、写本を確定していく作業は、非常に楽しいものであった。

最終的に、93点、17コマ分を選定した。中心となるのは、16世紀から19世紀のイラン、中央アジアに関するもので、分野としては歴史書、詩人伝、スーフィー伝、地理書、書簡典範、文書等多岐に亘る。特に貴重なものとしては17世紀のジュイバリー教団史であるMatlab al-talibin(B2504)や同教団の関連の文書の集成(B4388)、ブハラ・ハン国国制の書Dastur al-Muluk(C450)、さらにサファヴィー朝下のアスタラーバード州、シルヴァーン州で発行された行政文書の控え集成(A471, B2501)などがある。これらの写本のマイクロフィルムが東洋文庫に備えられれば、我が国のイラン研究、中央アジア研究に大いに裨益するところとなろう。

唯一の心残りは、こちらが写本の選定に忙しく、また、東洋学研究所でシンポジウムを開催されるなど日程的に困難があったため、ペルシア語写本の責任者O. F. Akimshkin氏以外の東洋学研究所の研究者と意見交換の機会がなかったことである。

なお、東洋学研究所は英文雑誌Manuscripta Olientaliaを始め、出版活動も盛んであるが、これについては、ホームページを参照されたい。

 

2. ロシア国民図書館(Natsional'naya Biblioteka Rossii:旧Saltykov-Shchedrin国立図書館)

住所 191069 Sankt-Peterburg Sadovaya St. 18

東洋学研究所の写本選定の合間を縫って、国民図書館で調査を行った。閲覧証の作製は、パスポートとヴィザで可能なようであるが、写本の閲覧には東洋学研究所の紹介状が必要であった。写本部門は一つの閲覧室で、ロシア語の古写本をはじめ、言語を問わずさまざまな種類の写本が閲覧に供されていた。土曜、日曜も開館しており、曜日によっては夜9時まで利用可能であるなど、利用者の便が十分考慮されている点に感心した。

この図書館の写本コレクションは、外コーカサスやトルコ、エジプトなどのモスクから収集されたもの、およびブハラのアミールから寄贈されたものなどからなるという。ペルシア語写本に関しては、東洋学研究所と同じ形式の「短いカタログ」が刊行されている。このなかから近藤は、イラン・オルーミーエ地方の人口統計を閲覧、マイクロフィルムを注文した。

出張者2名の興味を引いたのは、1999年に刊行されたペルシア語文書のカタログであった(O. M. Yastrebova. Persidskie i Tadjikiskie Dokumenty v Otdele Rukopisei Rossiiskoi Natsional'noi Biblioteki. Sankt-Peterburg. 1999. 東洋文庫に寄贈)。中央アジア・イランに関する総計248の文書がカタログ化されており、両名はこのなかから、それぞれの興味に応じて文書を閲覧した。

イラン関係のものは主に君主の勅令が収められており、近藤は、カージャール朝ファトフ・アリー・シャー期の勅令を主に閲覧した。内容的には、イラン・ロシア戦争の際、イラン側がザ・カフカスの諸侯に対して行った工作を跡づけるものであった。中央アジア関係は、勅令のほか、ワクフ関係のもの、マドラサに関するものなど多岐に亘る。磯貝は主にマドラサ関係の文書を閲覧した。いずれにしても、イラン・中央アジア等の現地では、閲覧・利用が困難であったり、あまり知られていない種類の文書を閲覧することができ、非常に有意義であった。

 

おわりに

チェチェン紛争と大統領選挙を抱えた微妙な時期であったが、少なくともペテルブルグは平穏さを取り戻しつつあるように見えた。ロシアの東洋学は財政的にきわめて厳しい状況にあるが、多くの重要な資料を保持し、また高水準な研究を続けており、今後も注目していく必要がある。最後となったが、調査にご協力いただいた関係各位に感謝したい。 (文責:近藤信彰)