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文化資源学 教授
木下直之 KINOSHITA Naoyuki
▼ 研究テーマ

私の研究テーマの変遷をたどり直してみると、学生だった1970年代後半は西洋美術史、美術館学芸員だった1980年代は近代日本美術史を学び、美術館から大学へと移行する1990年代には、美術史を越えて、幕末期から明治期にかけてのさまざまな文化現象を追い掛けてきた。

転機はいくつもあったが、現在の研究の起源は、1990年に企画した展覧会「日本美術の19世紀」(兵庫県立近代美術館)へとさかのぼる。江戸時代や明治時代の代わりに用いた19世紀という枠組みはもちろん便宜的なものに過ぎなかった。しかし、そのことで、時代間や分野間に自明のごとく引かれている境界線を疑い、いったん無効にする作業に着手できたように思う。

生人形(いきにんぎょう)という完全に忘れられた幕末文化との出会いが決定的だった。人形をなぜ彫刻史の中で語ってはいけないのかと疑問に思った。そして、自ら身をおいていた美術館という世界の窮屈な感じは「作品」という言葉を絶対視することに起因するのだと思い至った。代わって、祭礼や見世物の場に現れては消えてゆく一過性の「つくりもの」の世界に魅せられた。

つくりものは「作物」であり、「作品」と好対照だった。美術館は作品をその建物の内側に保管し、劣化をおそれて温湿度や照度をコントロールし、大切に後世へと伝えることを至上の課題とする。絵馬堂は不特定多数のひとびとに絵を見せるという点で美術館に似ているが、屋根と柱はあっても壁を持たない。そこに掲げられた絵馬は風雨にさらされるものの、誰もそれをおそれない。絵馬は神仏に捧げられたものであり、奉納の瞬間が大切だからだ。あとは野となれ山となれ、朽ち果てようが一向に構わないのだ。そうした造形表現のあり方や見せ方が視野に入ってきた。まさしく風通しがよくなり、祭礼、見世物、開帳、絵馬堂、博覧会、写真、映画、銅像、記念碑などのことを考え始めた。

1997年に美術館を離れ、ということは「作品」の呪縛からも自由になり、東京大学の博物館に移り、さらに文化資源学研究室へと移った。そのころの私をとらえていたものは、銅像とお城だった。銅像については『銅像時代—もうひとつの日本彫刻史』(岩波書店、2014)を、お城については『わたしの城下町〜天守閣から見える戦後の日本』(筑摩書房、2007)をご覧いただきたい。

後者について少しだけお話すると、それは城郭研究の対象としての城ではなく、思わず「お」を付けて呼んでしまう現代人の通念の中に存在している城が問題だった。明治半ばになって、旧幕府関係者にその制度や役職の実態を聞き取りした『旧事諮問録』(岩波文庫)に、こんな面白い話がある。外国奉行のほか、御小姓や御側御用取次などを務めた経験を有する竹本要斎が、質問をさえぎり、「御の字が付かぬと情合が移らぬ」から昔の言葉遣いで答えさせてほしいと断っている。竹本の生きた世界が、まさしく「お城」だった。私もまた東海道の城下町に生まれ、「お城」とともに育った。

城は明治維新と廃藩置県によって無用の長物と化したにもかかわらず、今なおそれを実現・復元させようとする試みが続いている。1931年築城の鉄筋コンクリート造の大阪城はその嚆矢である。1950年代後半に、雨後のタケノコのように城が建った。この場合の「雨」とは、B29が投下した焼夷弾にほかならない。1989年には、今度は竹下内閣が全国の市町村に1億円の「ふるさと創生」資金をばらまいた。それがお城の建設に弾みをつけ、1990年代には新たな築城ブームが出現した。歴史上の城について考えるのではなく、城の姿をしたすべてのものについて考える必要がある、と考えている。それはひとりお城にかぎらない。

銅像研究の先に男の裸体彫刻が、お城研究の先に動物園が、それぞれ、なぜ男の裸は女の裸ほど話題にならないのか、なぜお城の中に動物園があるのかと、いった疑問を伴って浮かび上がってきた。前者については『股間若衆—男の裸は芸術家』(新潮社、2012)を上梓し、『曖昧模っ糊り—近代日本の性表現』(出版社未定)というタイトルの続編を企てている。後者については『動物園巡礼』を『UP』(東京大学出版会)に連載中、いや巡礼中である。先を急ぐので、これで御免。連れては行かないけれど、ついて来るぶんには構わない。

▼ 著書
  • 1.『美術という見世物—油絵茶屋の時代』平凡社、1993(ちくま学芸文庫、1999/講談社学術文庫、2010)サントリー学芸賞受賞
  • 2.『ハリボテの町』朝日新聞社、1996 (第1部のみ『ハリボテの町—通勤篇』と題し、朝日文庫として刊行、1999)
  • 3.『写真画論—写真と絵画の結婚』(岩波近代日本の美術4)岩波書店、1996、重森弘淹写真評論賞受賞
  • 4. 『河鍋暁斎』新潮社、1996
  • 5. 『上野彦馬と幕末の写真家たち』岩波書店、1997
  • 6. 『田本研造と明治の写真家たち』岩波書店、1999
  • 7. 『世の途中から隠されていること—近代日本の記憶』晶文社、2002 
  • 8. 『わたしの城下町—天守閣から見える戦後の日本』筑摩書房、2007、芸術選奨文部科学大臣賞受賞 
  • 9. 『股間若衆—男の裸は芸術か』新潮社、2012
  • 10. 『戦争という見世物—日清戦争祝捷大会潜入記』ミネルヴァ書房、2013
  • 11. 『銅像時代—もうひとつの日本彫刻史』岩波書店、2014
▼ 文化資源学を志す人へ

文化資源学研究室に入学してきた人たちに、いつもこんな話をする。

つぎのふたつのことを心掛けて欲しい。ひとつは、自分の好きなことを研究すること、あとひとつは、それを他人に伝えること。このどちらが欠けても研究とはいえない。とりわけ後者が重要で、たとえどんなに魅力的な研究テーマであったとしても、それが他人に伝わらなければまるで意味がない。もっとも、このどちらも実現させることは、誰にとっても容易ではない。

研究を「志す」段階では、より前者が大切だろう。自分は何を知りたいのか、という問いかけを常に行ってほしい。そうすれば、なぜそれを知りたいと思うのか、どうすればそれを知ることができるだろうかなど、つぎつぎと問題にぶつかるはずだ。それらと真剣に対峙すること。別の表現をすれば、動機は何かということになる。したがって、「いったい何に突き動かされて、ここにやって来たのですか?」が、私の最初の質問になる。

大学に入ってからの生活では、後者が重要になる。自分の考えや関心を他人に伝えることには、技術的な問題もからむものの、それ以上に大切なことは、伝えようとする中身に他人が共有できるものが含まれているか否かにある。どんなに関心と知識を異にしていても伝わるものがある一方で、同じ専門領域に属しながらもその面白さがさっぱり伝わらないものもある。

自分の研究が、誰に届くのかを意識してほしい。そして、読者や受け手の数を少しずつ増やす努力が必要となる。精魂傾けて書いた修士論文の読者が数人にすぎないという現実がある。しかし、その数人に、まずはメッセージを伝えなければならない。したがって、「この問題の何が面白いのですか?」が、私の2番目の質問になる。

文化資源学研究室の扉をこれからノックする人たちにも、たぶん同じ質問をすることになるだろう。


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